小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

愛犬が逝ってしまってから一ヶ月が経ちました:

 

愛犬が逝ってしまってから一ヶ月が経ちました:

 

どうやら、主観的にも、客観的にも、所謂、「ペット・ロス」シンドロームには、ここ、一ヶ月の間では、陥ることはなかったようである。やっと、気持ちの整理もつき始めてきました。もっとも、不意に、我が老犬が、ご飯をせがむ鳴き声や、フエーンという情けない淋しい声が、空耳で、しないわけではないのですが、、、、。その都度、心なしか、寂しくなってきてしまいます。或いは、ドアーを鼻先で、ヒョイと器用に開けて、廊下から歩きながら、顔を出してくるような錯覚も起こらないではないですが。いつも、「ラッキー」と名前を呼ぶと、自分が、「ラッキー」であることを自覚していて、ちゃんと、呼び掛けているこちらへ、顔をヒョイと、向けていたものです。口笛でも、ホイッ、ホイッ、と二度呼び掛けると、遠くからでも、その口笛に反応して、全速力で、長い耳を後ろになびかせながら、急いで、走って戻って来たものでした。この三年間は、体力の衰えを考慮して、室内で、一緒に生活するようにした為か、もう、自分が、人間であるとも思っていた節がみられました。チャッカリ、知らぬ間に、二階へ、階段を登っては、お気に入りのマットの上で、昼寝を決め込んだり、自分の決められたハウスに、食後は、キチンとお座りして、昼寝をする日課でありましたが、、、、、。それも、徐々に、二階への階段や屋上への階段が自力で登れなくなり、やがて、目も耳も衰えて、最期には、あんなに大好きだった散歩ですら、やっと、四つ脚で、立っていられるのが、精一杯になり、脚がもつれたり、角に、ぶつかったり、本当に、可哀想で、自分でも、何故、こうなってしまったのかと、最期の最期まで、自分の「生」を全うしようと、頑張ったものです。先日、動物愛護協会へ、手つかずのドッグ・フードや缶詰、オムツやドッグ・シートや食器やリードなど寄附してきましたが、まるで、人間の遺品を整理するかのようでした。今、やっと、落ち着き、写真の整理をしながら、絵本の最終イラスト待ちですが、今月末には、完成する予定で、おおいに、楽しみです。どんな具合に、仕上がることでしょうか?本当は、生きているうちに、刊行したかったのですが、、、、、、。残念ですが、致し方ありません。「ラッキー、ボスは、何とか、元気だよ!」(涙)