小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

保護犬の第二の犬生

保護犬の第二の犬生
我が老犬は、満で、丁度、推定17歳である。1995年5月に、約3ヶ月のメスの子犬で、城南島の動物愛護センターで、2日間に亘る講習の末に、もらい受けてきたもので、4匹の姉妹犬のうちの1匹である。申し込みをする前から、既に、口笛を吹いて、こちらにやってくる犬を貰うことにして、名前も、自分で、未来を切り開いたのだから、ラッキーと命名することに、初めから決めていた。案の定、口笛を吹くと、チョコチョコと柵の中から、歩み寄り、こちらをジッとみつめている。偶然もあるかも知れないと、もう一度、呼ぶと、再び、小さな脚で、しっかりと歩み寄ってきた。この犬だけ、耳が、ピンと立っていた。驚くべきことに、後年、近所の公園で、散歩していたら、同じ柄の同じ顔の犬が、向こうから、来るではないか!尋ねてみると、同じ頃、同じ場所で、しかも、かかりつけの動物病院まで、同じで、あの姉妹犬の一匹だったということが、分かった。そのプーちゃんも、4年ばかり前に、亡くなったそうで、我が老犬も、一緒に、遊び、散歩していた我が家の子供達の成人を見届け、私の父母を送り、近所のお友達の犬たちも、亡くなり、今では、寄る年波で、眼と耳が、不自由になり、トボトボと、うたた寝と食事と散歩だけが、生きがいである。若いときは、思い切り、小諸の里山で、松林の間を走り周り、藪の中に、消え去り、谷底へ、鹿の臭いを嗅ぎつけて、降りていって、帰ってこなかったりもしたが、、、、。夏の暑い日には、ベランダで、寝そべって、昼寝をしたり、冬には、雪の中でも、狂ったように、跳び回ったりもしたが、しつけで習ったお座りも、待ても、お手も、おかわりも、伏せも、つけも、みんな、もう祝卒業で良いだろう!自由気儘に、好きなだけ、遊んで、食べて、寝て、長生きしてくれれば、それだけでよい。うちの分だけでなく、お向かいの家の番犬までも買って出て、ご褒美を戴いたりしたが、そんな役目も、もうしなくてよいだろう。只、ひたすら、余生を愉しみ、病気になったら、なったで、手術もせずに、自然体に任せつつで、これが、我が家の犬を飼うときの「初めからの約束」だった。腰を抜かして歩けなくなっても、心配は要らない。安心して、気儘に、天命を全うして貰いたいものである。ただ、それだけを願う日々である。そんなことは知らずに、相変わらず、尻尾を鼻に当てて、丸くなって、自分のベッドで、暖かそうに、食後の居眠り中である。ただ一つ、絵本の「百万回生きたねこ」ではないが、結婚し、愛し合い、子供を作る機会を許さなかったのは、人間のエゴかと悔やまれる。そして、君は、本当に、ご主人様が、好きだったのか、嫌いだったのかと、、、、、尋ねてみたいものである。「本当の犬の気持ち」を、、、、、。「幸せだったのか」と、、、、。最期の瞬間には、、、、、。