小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

林 忠彦写真展 「紫煙と文士たち」を覗く

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林 忠彦写真展 「紫煙と文士たち」を覗く
アレルギー体質の為に、成人してからも、煙草は、原則的に、すわなかった。もっとも、学生時代には、一寸、粋がって、吸い方を忘れたいために、友達から、まだ、フィルターのついていないショート・ホープを、年に1本程度、もらって吸いもしたが、、、、。基本的には、禁煙家の類である。しかしながら、決して、愛煙家の気持ちが、分からなくはない。むしろ、年々、肩身の狭まる思いをしている愛煙家の気持ちに、同情したい位である。渋谷の「たばこと塩の博物館」で、開催されている写真展は、確かに、文士と紫煙が、これ程までに、切っても切れない間柄であることを、改めて、再認識させるものがある。「文士「と「たばこ」と「酒」と「和服」と「酒場」、それらの言葉だけでも、十分である。59人のどの物書きも、等しく、たばこをこよなく愛し、おいしそうに、吸いながら、全く、悪びれる様子もなく、肩身の狭い思いを感じることなく、肺がんのリスクを恐れずに、堂々と、満足げに、煙を燻らせながら、写真に、納まっている。銀座のバー、「ルパン」で、偶然から撮られた太宰治の写真や、書斎とも寝床ともつかぬ坂口安吾の執筆風景写真等、確かに、記憶の片隅で、忘れられることのないポートレートである。個々の文士の作品表現とは異なる彼らの別の個性が、たばこを通して、林 忠彦のカメラのレンズで、切り取られている。約80点程の作品の中には、「戦後の焼け跡の風景」、とりわけ、「犬を背負う子供達」(昭和21年)、「焼け跡の母子」(昭和22年)、「日劇屋上の踊り子」(昭和23年:1948)、「ゴミ捨て場のバー」(大森、昭和26年)、「銀座の露店」、「ハチ公前」等、戦後の世相を撮影した写真も、これ又、印象深かった。バーのコースターや、旧いたばこのパッケージ、マッチ箱のデザイン、往年のハイライトの宣伝ポスター(そこに、映る小林桂樹や久保菜穂子等)も面白い。新橋のカストリ横丁、鎌倉文士という言葉など、幼い記憶の彼方に、消え去らんとする時代が、それらの写真の中には確かに存在する。写真を勉強する人だけではなく、デザインを勉強したり、文学をこよなく愛する人には、文士の別の一面が垣間見られて、愉しいひとときであると思う。「いこい」のパッケージを見たとき、そう言えば、小学校4年生の時に、担任の教師が、愛煙していたこのたばこを、校門の傍のたばこ屋に、よく、買いに走らされたのを想い出した。その文房具屋兼たばこ屋も、今では、廃業し、老人介護センターになっている。