小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

「家事力」という「無形資産」に気付かされる:

「家事力」という「無形資産」に気付かされる:

 

フリーライターの金子由紀子さんが、新聞の「お金のミカタ」というコラムに、書いていた記事を、さりげなく、山の神が、切り抜き、机の上に、置いてあったのが目にとまったた。その説明に従えば、何故、今日、私達は、こんなにも、暮らしに関わる出費が、昔に較べて、多くなってしまったのだろうか?、、、、、、と、それは、サービスや便利さを買わないで、(もっとも、昔は、無かったり、乏しかったりしたのかもしれないが、、、、)自分でやり、「暮らす技術=家事の能力」を、いつしか、失ってしまったからではないかと、、、、、、。総菜をすぐに買い求めたり、一日しか着ないワイシャツをクリーニングに出したり、水廻りの修繕補修も、、、、、、、等々。「家事」とは、給与支払いの生じない「シャドー・ワーク」で、母や妻による「無償の行為」であるから、恐らく、数字に換算してみたら、確かに、大変な経済上の縁の下の力持ち的な存在であろう。考えてみれば、家庭の中で、リタイヤーでもしてみれば、本当に、どのような「無形資産」が、自分には、残されているのであろうかと省みずにはいられない。衣類管理、畳み方、整理・整頓・後片付けの仕方、食器洗い・乾燥の仕方、裁縫や料理、風呂の掃除の仕方、アイロンの掛け方、部屋掃除の仕方、栄養学の知識、調理・料理の技術、健康管理、買い物の仕方、ゴミの分別まで、こうしてみると、無形の知的財産が、どれ程、あるのであろうか、、、、、、、、。同女史によれば、資産家とは、お金をたくさん持っている人であろうが、家族全体の総合的な家事力という尺度を加味してみたら、本当の意味での家の中の資産価値を見直せるのではないかと、、、、、、。会社が無くなっても、貯金がゼロになっても、家事力という無形の資産さえ、保持していれば、資産がなくなることはないと、、、、。身の回りのことくらいは、できるようになっておきませんか?、、、、、と。目には見えない「埋蔵金」だそうである。「へそくり」と云わないところがうまい。そう言えば、子供の頃には、父と一緒に、子供の頃は、ノコギリで、木を切って、風呂を沸かしていたものであるし、母が、よく、父のワイシャツを、アイロン掛けしていたのを想い起こす。暮らすこと、生きること、とは、どうやら、何でも、やっておかなければならないようで、実に、耳が痛い話である。