小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

人は死して後、ヒトを残せるのか?:追悼野村克也

人は死して後、ヒトを残せるのか?:追悼野村克也

 

小さな子どもの頃は、23区内でも、家の周りには、未だ、空き地や雑木林が散在していて、友達同士で、ゴロ・ベースや三角ベースで、野球を、学校帰りには、陽が暮れるのも忘れて、暗くなってから、帰宅して、よく、母親から叱られたものである。その頃は、遊びやスポーツと謂えば、今日のように、多様化していなくて、サッカーとか、Vリーグとかではなくて、相撲か、野球と相場が決まっていたものである。

子どもの詠む少年誌には、必ずと言って良いほど、その当時のスタープレイヤーが、バットを持って、或いは、グローブを振りかぶって、今にも剛速球を投げそうな写真が、表紙を飾っていたものである。千葉・大下・川上や、稲尾や中西や、杉下、金田とか、往年の名選手達が、そして、その後の世代では、長嶋・王・野村・張本と続いたものである。そんな中で、三原の西鉄黄金時代の後から、南海で現役選手兼任で、監督に就任した野村のことは、どういうわけか、記憶に残っている。確か、就任した頃は、余り成績が振るわず、やはり、名選手は、必ずしも、監督としては成功しないものであると、喧伝されたことを思い起こす。後に、監督に就任した金田や長嶋も、皮肉にも、就任間もない頃は、似たような結果に陥ることになるのであるが、同じ日本一を勝ち得ても、野村語録のような、或いは、野村再生工場のような、そんな<ヒトを育てる>という、<死して、虎は皮を残す>というような評価は、残すことはなかった。今や、<昔の巨人・大鵬・卵焼き>の世代には、今日の金権まみれの渡辺路線には、大いに、違和感を覚えることになろう。

それとは対照的に、野村は、ID野球と称して、頭を使うこと、プレイヤーの前に、<考えるヒトを作ること>を、育てることに、舵を切ることになる。確かに、それは、勝者の論理に対抗すべき<弱者の論理>だったのかもしれない。今日の育成選手を一軍に、あげてゆくような手法なのかもしれない。なかなか、<野村語録>というモノは、興味深いものがある。<勝ちに不思議の勝ちあり、負けに、不思議の負けはなし>、成る程、これはもはや、まるであの<失敗の本質>をわかりやすく謂っているようなものである。

それにしても、野球の監督業というモノは、優勝すれば、そのリーダーシップや野球理論に関する書物が、公開されて、まるで、あまたあるゴルフ理論のようなモノで、三原マジックの路代、川上の哲のカーテン、西本・仰木の時代、<勝てば官軍>ではないが、勝ち将軍の監督は、<商品の賞味期限と同じ>で、いつの日にか、劣化が始まるし、選手の世代交代は、長嶋や王の引退後の例をみるまでもなく、悲惨なものがある。監督業とは、コーチ業との差は、一体どこにあるのであろうか、私は、相撲やボクシングを見ていて、いつも、不思議に思えるのは、システムとして、ボクシングのように、具体的な名伯楽コーチが存在しているのに対して、相撲などは、旧態依然たるしごき体質が蔓延していて、相変わらず、近代的な合理的な分業態勢ではない。恐らく、野村が監督をしていた時代のコーチは、誰だったのであろうか?選手は、確かに、小早川や山崎のような野村再生工場の代表格はわかりやすいし、又、赤星などの走塁の分業専門家を育成発掘したことなど、納得できるが、それならば、何故、直接薫陶を得た古田のような選手は、監督として、成功しえなかったのであろうか?どこにその差は、あるのであろうか?戦争孤児・母子家庭の赤貧の中で育ち、ユニフォームも買えない中で、野球に励み、甲子園とも無縁な中で、閑古鳥の鳴くパリーグの球場で、ひたすら、まばゆい太陽を夢見つつ、月を眺めながら、自らを<月見草>と揶揄してきた、反骨の人生は、ぼやきを、<その選手の性格やTPO>に応じて、使い分ける手法は、まさに、人生そのもの、普遍的な人の生き方、処世術にも、繋がるモノではなかろうか?

昔、<数字の裏を読め>とよく言われたが、ID野球もビッグ・データ分析野球も、結局は、昔の鉄道系や新聞社系から、今や、IT関連企業に変貌しつつある以上、本来ならば、ソフトバンク楽天も、或いは、DNAにしても、もっともっと、素晴らしい成績をビッグ・データから解析して、活用できるはずだが、そうもゆかないところをみると、やはり、<データを解析するヒト>次第なのであろうか?やはり、泥臭い話なのであろうか?

それにしても、杉下も稲尾も金田も、そして、後任として、バトンタッチした星野も、そして、野村が鬼籍に入り、もう残るのは、ライバルだった巨人のOBだけだろうか?何とも、さみしい限りである。新たなヒーローと野村イズムを継承発展させられる人間の登場を待ち望むのは、ひとり、私だけではなかろう。球春も、間近である。