小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

絵本、<いつでも会える>を読む:

絵本、<いつでも会える>を読む:

 

1999年に、ボローニャ国際児童図書展児童賞の特別賞を受賞し欧州各国で100万部以上を販売した、イラストレーターでもある、菊田まりこ氏による、絵本を電子書籍で読んでみた。もう愛犬の介護を終えてから、既に、6年余りの時を経過していても、思わず、読みながら、涙が頬を伝って落ちてきてしまう。

犬の寿命がいくら延びたからと謂っても、普通は、どう見ても、人間の寿命の方が長くて、従って、人間の目からみたところの、<ペット・ロス>が、主眼となるのに、この本の主人公である、<みきちゃんという小さな女の子の子犬のシロ>は、ご主人さまというよりも、むしろ、お友達とでも謂う関係性のみきちゃんと、幸せの真っ只中で、<突然の永遠のお別れ>を、逆に、強いられることになる。いつも、一緒に遊んでいた、一緒に並んでお食事をしていたみきちゃんが、いなくなってしまった。幸福の絶頂から、不幸のどん底へ、子犬のシロは突き落とされてしまう。病死なのか、事故死なのか?理由は分からぬが、<突然のお別れ>だけは、間違いない現実であることは、否定しがたい事実である。どこを探しても、いない、いつも一緒にいたのに、隣にはいない、<ずっと、一緒にいられると思っていた>のに、悲しくて、とても、さみしくて、せつなくて、、、、、、、。そして、ある日、子犬のシロは、<目をつむってと、考える>と、みきちゃんのなつかしい声が、聞こえてきて、<今も、これからも、ずっと変わらない>、<まぶたのうちで、僕らは変わらない、あの時のまま>、<とおくて近いところにいたんだね>と、、、、、、、改めて納得するのです。

 一緒に生活していたペット・ロスという視点とは逆に、子犬のシロは、人間の子どもに置き換えても、或いは、家族や長年生活を共にした連れ合いだったり、様々なシーンの中で、突然の別れを受け入れ、そして、立ち直る力を取り戻せるのかを、考えさせられるものがある。我が愛犬は、3ヶ月の保護犬で、口笛の呼びかけに応じて、自分から近寄ってきてから、18歳4ヶ月の齢を全うしたが、考えてみれば、一緒にかわいがってくれていた子供達の成長や成人の日や独立を見送ったし、父や母との別れをも見送ってくれたわけであり、最期は、私が看取ってあげたわけだが、<動物の一生から、人の一生を勉強させて貰った>わけである。ちいさな子供達と共に、一緒に、読み聞かせたい絵本である。

我が家では、部屋中に、亡き愛犬の写真や絵やイラスト画を、飾ってあり、<いつでも会えるように>、<いつも、変わらず、一緒である>。