小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

亡き愛犬の絵を描く:

亡き愛犬の絵を描く:

玄関の横にあるモミジの紅葉が、いよいよ始ってきた。今から、2年前の11月08日付けの日付の入った愛犬の写真が、写真立ての中でこちらを見つめている。あれは確か、昨年の6月11日に永眠してから、愛犬の絵を描こうと思い立ち、スケッチブックを買ってきて、子供達が小さい頃に使用したクーピーのクレヨンで、彩色しようとしたが、なかなか、スケッチが、難しくて、断念したという曰く付きの絵である。足かけ二年に亘って、作業が中止されたままのスケッチを、たまたま、版画を彫ってみる図柄を幾つか考えていたときに、そう言えば、未完のスケッチ絵があったことを想い起こして、スケッチブックを捜してきて、突然思い立って、彩色してみようとするものである。それにしても、鮮やかな真っ赤に紅葉したモミジの樹をバックにして、もう足腰も衰えて、後ろ脚をやっと、何とか踏ん張りながら、太い前脚で、階段の上から、亡くなった母の冬のスラックスを、女房殿が再生利用で、冬の散歩用のコートを作ってくれたので、これを羽織って、これから、階段を辛うじて、降りて、散歩に出掛ける前に撮った写真が、元になっているものである。考えてみれば、もう、この時には、眼も、耳も、不自由で、おまけに、足腰も衰えて、やっと、鼻だけで、なんとか、散歩していたことを想い起こす。目が不自由だったのに、何故か、こちらを凝視して、カメラにポーズをとってくれた訳である。私は、モミジが紅葉する季節になると、毎年、この出来事を想い出して涙が溢れてきます。一緒に散歩の途中で、投げては、拾って遊んだ松の枯れ枝の棒きれも、リードを外して、自由に走り回った松林も、もう、私は、君を思い出すので、哀しくて、行きません。家族みんなで、君と一緒に愉しんだ春の桜の花見も、秋のモミジの紅葉も、冬の雪の野原で走り回ったことも、その季節が来る度毎に、君を想い出されます。絵の中の君は、一寸、私の拙い腕のせいか、顔が大きく描かれてしまいましたが、許して下さい。でも、モミジが、紅葉する度に、私は、ずっと、君のことを、君と一緒に過ごした時間を、忘れることはないでしょう。今年も又、その時間が、近づいてきました。君は、そのモミジの樹の傍で、深い眠りについていることでしょう。今度は、桜の樹の下で一緒に愉しんだお花見の絵を描くことにしましょう。いつになるか、又、分かりませんが、待っていて下さいね。

 

 

f:id:nkmrimc:20141021163821j:plain