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小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

稀勢の里に思う

稀勢の里に思う:

何とも、糖尿病と闘い、苦しんだ往年のおしん横綱でもあり、又、師匠であった、隆の里親方にも、通じる土俵人生模様である。それでも、『そんなに急いで横綱にならずとも良い』とは、思っていたものの、瞬間的な短期的な二場所程度の勢いで、あっという間に、先を越されそうな状況の中では、おいおい、本当に、いつも、ここ一番と云うときには、期待を裏切る、気弱な大関であると、呆れ果てられてしまう矢先の出来事である。誠に、今時、流行らない、叩き上げの中学出の愚直で、要領の悪い、不器用な力士で、まるで、醜いアヒルの卵のようであろうか?これまでも、ここぞという、肝心な一番には、負けてしまうのは、メンタル・トレーニングや、コーチが、相撲界には、いなかったのであろうか?これ程までに、科学的なスポーツ・トレーニングが、進んでいる今日でも、相撲界という所は、祭器と士魂とが、宿る神聖不可侵な土俵という聖域なのであり、スポーツは無縁の場所だったのであろうか?昔、何かのスポーツ番組で、横綱になる力士の条件を、その時の

横綱の年齢・成績・怪我と休場の回数とかをデータ分析してみて、誰が、近い将来、横綱になれそうで、又、なれそうにないかということを推理していたことを想い出すが、やはり、力士の商品ライフサイクルではないが、そういう、伸び盛りか、下降時期なのかということも、ある意味では、生まれたときが悪かった式なタイミングもあるのかも知れない。大鵬がいなければ、柏戸ももっと、優勝回数が増えていたかも知れないし、稀勢の里も、白鵬がいたから、或いは、モンゴル勢に囲まれて、これまで、散々煮え湯を飲まされてきたのかも知れない、そう思うと、なかなか、相撲界も、人生模様を観ているようで、なかなか、面白いモノがある。今回は、流石に、白鵬も、変わることなく、正々堂々と、真っ向勝負で、力の限りに、といっても、自分の衰えを自覚しながらかも知れないが、短期決戦で、勝負に、強引に出てきたのかも知れない。そうしないと、勝てないのかとも、うすうす、自覚していたのかもし得ない。どう考えても、これまでの実績がなくて、負け越しや、休場や怪我で負け越しているのに、突然変異の如く、全勝優勝などが出来てしまう相撲というスポーツも、実に、面白いではないか?優勝しても、翌場所が振るわないなどと云うのも、これも又、妙なことである。時間が、かかった分、人は、その地位により、その器量が備わることになると云われていますが、これからが、本当の始まりで、これからの稀勢の里の活躍に期待しましょう、そして、これまで通り、師匠の教えをしっかりと守り実行出来るか、一番苦しい稽古をしてきたから、勝利する自信が生まれてくるはずで、嬉しくとも、土俵上では、表情に表さないという、祭儀の礼儀を、横綱として、常に、実行出来るのかが、改めて、これからの土俵上で真に、その横綱としての品格が、試されることになるのかも知れない。力士の怪我が多い中で、これまで、休場がなかったと云うことは、又、優勝のない力士の最多勝利獲得ということも、特筆されるべきことである。元大乃国や、元霧島などの優勝が出来なかったことへのコメントを解説で聞いていても、人生、実力だけでなくて、プラスの運も味方すると謂うこともあるものである。それにしても、地位がその人を作るように、大器晩成でもよいから、急がずに、自分なりの横綱像を築き上げて貰いたいことを願ってやまない。