読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

やる気というやっかいな陥穽:

やる気というやっかいな陥穽:

貧困から、逃れるために、人は一生懸命に、資格を取得したり、外国語を学び、少しでも、他人よりも優位に立とうとして、頑張るモノである。とりわけ、何処の国でも、教育への幻想というモノが日増しに、まして、大学進学や、異常なまでの加熱した学歴至上主義やら、海外留学キャリアー信仰へと発展してしまい、逆に、そうした『やる気と向上心』というものが、もたらしてしまう『陥穽』に、当事者は、気が付かないモノである。小諸市の第9回になるという『ディスカバリー小諸』という日本に、留学している留学生の短い期間でのホーム・ステイの受け容れに、参画して貰いたいと云うので、ボランティア活動の延長線上に、協力することにした。何でも、私に割り振られた相手は、昨年の10月に、ベトナムハノイから、やってきた19歳の青年である。色々と、訪日動機とか、こちらでの滞在生活の内容とか、生活振りとかを質問してみたが、なかなか、厄介なことであるが、基本的な意思疎通のベースである日本語が、覚束ない。昔、ベトナムで暮らしていたときの私のお手伝い向けの生活ベトナム語などは、全く、糞の役にも立たない。もっとも、少しは、会話してくる間で、思いだしてくるものの、南と北では、その発音が異なるから、こちらも戸惑ってしまうものである。ましてや、英語は、残念乍ら、向こうさんは、さっぱり、携帯電話の辞書を引かないと、理解出来ない困った状態である。それでも、何とか、朝08:30から、午前中、日本語の勉強をして、午後は、ずっと、夕方六時頃まで、有名なインスタント・ラーメンの製麺工場でアルバイトをして、夜は、宿題をして、就寝は、二時頃だそうである。アルバイト代は、月額7万円程度、残業をしても、9万円程度で、そこから、家賃3万円(WiFi利用料や、光熱費込みで、3人のアパートの相部屋だそうだ)、食費1万円を負担して、残りを親への訪日費用代の返済に充当しているとかで、コンビニやインスタント・ラーメンの食事らしく、晩ご飯を、ベトナム生春巻きの日本版(具材を刺身やハムに替えて、野菜と一緒に、手巻きで、古いベトナムの友人にお土産で貰った魚醤とチリー・ソース)で、食べながら、来年三月以降、どうするのかとか、将来、何になりたいとか、尋ねてみたが、東京へ出て、語学の勉強をやりながら、マーケティングなども、学びたいとか、、、、、大学は、学費が高いので、専門学校に進学したいと希望を熱く語っていた。それにしても、私の知りうる限りでのこれまでの旧いベトナムの友人達は、皆、奨学金を貰ったり、優秀な成績だったのであろうから、公費で、大学へ、留学に来たりしていたのに、較べて、何とも、悲しくなりそうな境遇である。おまけに、43歳のお父さんは、病気がちで、お母さんも又、医者通いとかで、妹を抱えて、自分が頑張らないといけないという境遇だそうである。何とも、五十年以上も昔、テレビのシャボン玉ホリデーで、ハナ肇や、ザ・ピーナッツが演じていた、貧困家庭のコメディーを彷彿とさせられる内容である。そんなにしてまでも、日本語を学び、海外で、食事を切り詰めて、お金を貯めて、両親に、尽くしたいというこの青年の思いには、ある種の『生真面目さに隠された陥穽』を、私は、皮肉にも、みてしまう。相手に、『今の幸せとは、何ですか?』と質問してみたが、日本語が、通じなかったので、会話が、途切れてしまったのは、おおいに、残念なことである。それにしても、生活が苦しくて、口減らしの一環で、海外移民に出ざるを得なかったのではなくて、自らの強い意思と向上心を以て、自己責任で、来日するというこの、現状が、世界至る所で、みられるのであろう。それは、不法移民ではなくて、ある種、ギリギリの貧困ビジネスのような物で、恐らく、『出す側と受け容れ側』との阿吽の呼吸の狭間で、この青年のように、彼らは、海外へ、夢と希望を持て、出掛けてくるのであろうが、その行き着く先は、一体、どんな地平なのだろうか?振り返って、自分が19歳の時には、果たして、どんな思いであったのであろうか?この青年のようなそんな大それた大志や野望を抱いていたであろうか?語学留学とか、海外研修制度とか、役人が机の上で、ペンを舐め舐め、企画した事実上の安い労働力の提供というなし崩しの一種の移民政策は、そんあ実態を垣間見たような気がしてならない。これが、本当に、異文化の交流とか、理解とかに、繋がるのであろうか?残念乍ら、この青年は、夕食後に、昼からの咳がひどくなり、携帯の辞書で、胸が痛く、肺炎ではないかと心配し、医者に診て貰えないかと云うので、初めは、夏風邪とタカをくくっていたが、薬を持参しているというので、薬局の処方した薬をみると、気管支喘息の薬であった。どうやら、暑い夜中に、部屋で、クーラーを懸けっぱなしにして、就寝していたために、喉・気管支をやられたらしく、おまけに、雨の中傘を差さずに、濡れてしまい、体調を崩してしまったらしい。そんなこんなで、念の為に、京都にいる私の古いベトナム人の友人へ、夜、ネット電話で、直接状況を話して貰い、どうしたいかを再確認したうえで、最終的に、翌朝、上田のかかりつけの病院へ、診察を受けるべく、急遽、予定をすべて、キャンセルして、レントゲンを撮り、肺炎かどうかを、兎に角、診察して貰うことにした。ネット電話で話をしているときも、咳と痰が止まらず、症状がひどくなってきた。結局、翌朝は、トウモロコシとハム・エッグ・トーストとコーヒーと、スイカ・長野パープルという、朝食で、完食したから、食欲は大丈夫だろうと判断したものの、海外で、病院通いというのは、実に、私の個人的な体験からも、心細いモノである。上田に在住のベトナム人の先生に、急遽、病院で、ドクターへの通訳を依頼して、私は、お役目御免、バトン・タッチ終了とした。何でも、その後の連絡では、レントゲンで、肺炎ではないと確認され、点滴を打って、処置されたとのことで、まずは、一安心であろう。それにしても、こんな生活をしていたら、又再び、体調を悪くして、ぶり返してしまいかねない。一日も早い健康の回復を、願いたいモノである。そして、一日も早く、日本語をもっと、うまく話せるようになってもらいたいものでる。奨学金や、起業という陥穽が、問題視されているが、全く、語学という、或いは、語学留学という、麻薬のようなものが、つきまとっていることを、忘れてはならないし、かといって、事勿れ主義でも、困るが、バランスが、難しい所である。色々な意味で、勉強させて貰えました。