小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

本当に、円高は、望ましくないのか?:

本当に、円高は、望ましくないのか?:

随分と、可笑しな議論と、何処か違和感を感じざるを得ない議論の展開ではなかろうか?私のように、若い頃に、365円時代から、308円に、そして、250円、120円、80円にまで、円高を経験したことのある世代には、何やら、円安神話が、何か、可笑しな議論に、聞こえてならない。一体全体、この国のエコノミストは、本当に自国の通貨が、強くなることに、そんなに、違和感があり、すべて、単純な輸出の為に、為替相場が、円安にぶれることのほうが、すべての景気を左右するとでも、本当にそんな議論を正しいことであると考えているのであろうか?昔は、円高による随分と庶民生活が、バラ色になるという神話(?)が、国内消費市場の需要の活性化が、国内消費市場のアメリカ並みの拡大が見込まれると喧伝されたものなのに、いつの間にやら、そんな国内市場の成熟化も、消費市場の拡大も、萎縮と緊縮と金融市場の危機とかで、結局、バラ色の未来が、成長も止まり、非正規雇用も拡がり、若者は、働く意欲を失い、未来に対する希望も消え失せて、年寄りは、年金問題に窮して、内向きに、縮み上がってしまい、貧困と格差と不平等と心の老いが、蔓延してきてしまう始末なのだろうか?本当にそれらが、円安の方向性で、単純に、解決するのであろうか?そんない、海外に進出してしている気牛が多数に登る中で、本当に、輸出利益に、貢献する円安だけが、唯一無二の打開策なのであろうか?誰一人として、この流れに異を唱えるエコノミストがいないのは、おかしな現象である。みんな、通貨の先物為替ヘッジで、リスクを回避しているはずであるし、単純に、為替政策だけで、乗り切れる代物ではなろうに、、、、、、と私などは、これまでの経験から、そのように感じられる。一円の為替レートの違いで、莫大な大損もすれば、大枚が舞い込むと云われているが、それでは、円高で、大儲けをする会社は、いないのであろうか?もう、ガソリン価格にも、一喜一憂しないことにするか?円高になったから、価格が下がるかと思えば、いや、備蓄もあるし、需要・供給のタイム・ギャップがあるし、産油国の思惑があるから、すぐにはならないし、そう考えていると、いつの間にやら、景気が悪くなったり、金融危機が発生したり、何でも、要するに、理由をつけては、価格が下がらない様な仕組みにでもなっているのであろうか?デフレも度が過ぎると、日銀ではないが、実質賃金上昇や手取りの拡大とは一切関係なく、何が何でも、消費者物価の目標管理を断行してゆくのであろうか?何が正しく、何が、何処から、どの時点から、ボタンを掛け違えたのかも、全く判らずに、万事、物事が、進行してゆくことになるのであろうか?全く、これまでの指標が、有効ではないのが、現状ではなかろうか?もう訳が分からないから、露天風呂にでも入って、ゆっくりと、考えてみることにするか?