小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

表現の仕方を変えてみよう:

表現の仕方を変えてみよう:

そうすると、全く、別の地平が見えてくることになる。この一ヶ月間の変化は、全く、10年一日の長の感が無きにしもあらずと言ったところであろうか?車中で、たまたま、看板の値段を、私が、聞き違えたのか、どうかは、判らぬが、月額と年額を取り違えて、月額でも安いですねと云ったところ、実は、その金額が、年額だったことに端を発する。又、無償ボランティアで、気まぐれから、英文HPを作成して、更に、使用されていない部屋を、謂わば、しよう価値ゼロだった部屋を、インバウンドの外人旅行者向けに、エアビで、貸し出すということをじっさいにやってみたところ、これが、外人観光客だけでなくて、日本人にも、通用することが判ってきた。面白いことに、物事というモノは、若い時に、徹底的に、知恵をトヨタではないが、乾いたタオルを絞りに絞ってみると新しい何かが、生み出されてくるモノで、謂わば、資金のない人間にとっては、こうした省資源的な手法が、富を生み出す一つのきっかけになることを学ばせて貰ったが、まさか、それが、50年経った時点で、ボランティア活動の中にも、生かされようとは、想像だにしていなかったことは、全く、皮肉なことである。爪楊枝を、フルーツ・ピックに、民宿をゲスト・ハウスに、言い換えるだけで、何か、全く、新しい地平と風景がそこには、見えてくるから、面白いモノである。言葉の有するイメージというモノは、面白いモノで、第三者委員会等という言葉も、如何にも、客観的な部外者が独立的に、調査するのかと思えば、決して、そうではない。同じように、一つの物事も、言い方を換えることで、全く、別のモノに、転移してしまうから、実に面白い。この一ヶ月間での動きは、まさに、一つの物事の言い方の変換が、次々に、相乗効果を生み出して、新たな利用価値を生み出し、又、そこから、新たな商品価値が生まれ、それが、ますます、外部へと波及してゆき、地域の人々の心にも、又、その行動、発想にも、少なからぬ良い影響を、及ぼし始めて来たのかも知れない。耕作放棄地のドッグ・ランへの転用も、又、その景観保護トラスト運動も、外来寄生植物の伐採運動も、決して、それらの効果の一端だけではない、大きなインパクトを有しているのかも知れない。ぬかっていた田んぼの耕作放棄地も、バークや、チップや、木材のおがくずを入れることで、住民からも、自分の家で、余っていたチップを提供して貰ったり、草花を寄附して貰って、ガーデンを整備する作業に協力して貰ったりと、住民の知恵と労力を、無償提供しえ貰いながら、着実に、大資本を投じることもなく、ビックリする程のカネをかけなくても、どうやら、完成に、漕ぎつけられそうである。そうか、何事にも、知恵を絞って、民力を歯を食いしばって、絞り出すことで、周りの人間も変化し、発想にも、変化が生まれて、そして、何よりも、まずは、やってみようという意欲と行動パターンの変化が生ずることで、物事が、一歩一歩、前に、進んで行くのである。走りながらでもよいから、まずは、軌道修正を重ねながら、きめ細かく、コンテンツを練り上げて行けば、ヒョッとして、新しいビジネス・モデルが、生まれてくるのかもしれない。そう考えると、この一ヶ月間の余りにも濃密な経験は、実に、10年分の経験とノウハウを学んだような気がしてならない。それにしても、一地方での小さな事柄が、今や、I-o-Tの活用で、或いは、他人の褌を活用する事で、大きな資金を使うことなく、実に、効果的に、対費用効果を実現できる世の中になりつつあることを実感する昨今である。どちらかといえば、私は、文章中心で、即物的な動画や写真等には、余り、興味を示してこなかったが、インスタグラムなどには、甚だ、門外漢で、活用してこなかったが、流石に、ここに来て、若い外国人旅行者達から、その凄まじい反響と威力を、まざまざと見せつけられる羽目に陥ってしまった。SNSとの合体・連携も、もはや、単なる夢物語ではなくて、イイネの数も、馬鹿にしてはいられないほどである。未だ、顔を合わせたことのない人達が、数百人単位で、いると云う事は、情報が、今や、その人達に、自動的に、シェアーされて行くと云う事で、数百人でなくて、恐らく、近い将来、数千人、数万人、数十万人へと、拡充されて行けば、それだけでも、もの凄い化学的な反応が生じかねないことは、想像に難しいことではない。新しいコンテンツの切り口が、又、新たな表現に変換することで、更に、しんかされて行くような気がしてならない。ゴルフ・パックも、登山・ハイキングも、出張パックも、体験も、ネット販売も、ドッグ・ランも、ひとつひとつ、勉強してみるとしようか?どんな新しい、これまでとは違った風景が、そこに、見えてくるのか、今から、愉しみである。