小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

二人の鈴木さんにみる年寄りの出処進退:

二人の鈴木さんにみる年寄りの出処進退:

桝添の見苦しい言い訳は、どうでも宜しいが、なかなか、歳をとってからの出処進退、とりわけ、引退する時期というモノは、成功すればするほど、難しいモノである。何も、しないで、定年を迎えるサラリーマンのほうが、ずっと良さそうにも思えてならないが、そうでもないのが、昨今の流れである。もっとも、経営者というモノは、どんなに、成功して、業界での評判が良くても、一夜にして、足許を掬われるのが世の常である以上、一種の『永久革命』のようなモノであることも、又、否定できない事実である。ましてや、これが、多数の従業員や、顧客の家族までも含めた舵取りとなるとなるほど、もはや、カネの問題なのではないことは事実であろうか?それでも、歳をとってくると、猫に鈴をつけることの出来る周囲の或いは、身内の、更には、創業当時の同志達もいなくなってしまい、結局、秀吉みたいになってしまうのであろうか?名誉とか、評判とか、誇りとか、カネとか、全く、歳を重ねるに従って、ブクブクと、要らぬものが、重ね着のように加わってくるのであろうか、黒塗りの運転手付きの高級車での送り迎えになれてしまうと、一人で歩くことすらも出来なくなってしまうと良く言われている。人生、歳をとってくると、なかなか、難しいモノである。私には、最近、お付き合いして貰っている農家のお父さんやおかあさん達、先輩のご老人達が、何か、理想的な老人像のように、不思議と、思えてならない。二人の鈴木さん達の騒動をみるにつけ、そんな感慨を抱き始めて、他山の石にしないと考えるに至る。どのように、健康寿命を謳歌しつつ、地域社会との接点をもちながら、社会貢献が出来ないだろうかと、考えてしまう。さぁ、これから、ドッグラン&ガーデンの開場準備と、これを記念した野菜のネット販売、ペット・ホテル申請、隠れ湧水の再興、野菜農家の訪問と、耕作放棄地対策と地域コンテンツ開発と、面白いように、今日やる用事と今日いくところが、出てくるのは、不思議である。