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小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

老人よ!惜しみなく、その『無形資産』を若者に与えよ!!:

老人よ!惜しみなく、その『無形資産』を若者に与えよ!!:

先日、武石村の信州せいしゅん村のある会議に、後輩が、フィールド・ワーク実証調査の場が、なかなか、見つからないので、そのきっかけになるようにと、紹介し、一緒に、参加させて戴いた。考えてみれば、若い時には、政治的にも、社会的にも、随分、我々若者は、よい意味でも、悪い意味でも、(もっとも、ちっとも、悪い意味などとは、その時には、全く、考えても、感じてもいなかったというのが、真実であるが、)親も含めて、ご迷惑をお掛けした以上、歳をとってからは、如何ほどのその経験とノウハウと人脈ネットワークなどを、謂わば、『無形資産』という形で、惜しみなく、社会的な還元で、社会的な貢献とは、云いたくはないが、とりわけ、若い人達には、もっと、手を差し伸べる、そういう場が、SNSでも、現実空間でも、必要なのではないかと、最近、ひしひしと、自分の体力の衰えを感じると共に、その感慨が日増しに、強くなってくる。とりわけ、老人体操教室に参加していると、とても、健康的で、気力体力が充実していて、実に、これらの『老人パワー』は、人口構成からしても、(もっとも、いずれは、フェード・アウトしてしまうけれども、)それまでは、女性の活用なども必要であるが、年寄りに、もっと、お金を使って貰い、個人の有する『無形資産』を、惜しみなく、若い人達に、活躍する場を、機会を、創り出して、そこで、一緒に、『歳をとっても、役に立つという悦び』を感じて貰うことが、まさに、地方の創生の根幹であり、人が集い、カネが循環して、新たなノウハウのICTを活用したハイブリッド・進化形が、生まれ出てくるのではないかと、そんな予感がしてならない。都会での若年貧困対策支援の炊き出しも結構であるが、所詮、一過性の対症療法で、根本的に、何か、新しい起業が生まれるわけではなくて、せいぜいが、『貧困ビジネス』程度ではなかろうか?もっとも、そこには、補助金や税金が、うまく、循環しているわけであるから、なかなか、頭のよい起業家がいるものである。ヤクザに、コンサルタントが雇われていたら、まさに、お薦めなのかも知れない。それはさておき、地域に、カネが落とされ、循環して、若い人達が、或いは、外国人が、やってきて、文化を、芸術を、当たり前の、当たり前な生活を、暗闇を愉しみ、樹木を改めて根元から、てっぺんまで、見渡して、その根の張りかを想像してみることも、そういた都会では、公園にゆかなければ、味わえない様な普通の体験に、実は、『無限の価値』が在ることに、私達は、気が付いていないのかも知れない。爆買いなどという一過性の経済効果ではなくて、持続可能性を有する、無限の循環型の、広く、カネも循環し、深く、精神的にも、その地方に棲む人達が、或いは、やってくる人達が、相互に、インターアクティブに、『日常性に潜む何気ない価値』に気が付けるような、『そんな工夫』が、そこには、求められているのではないかと、最近、つとに、思いを強くする。『それは何か』は、これからも、若い人達とともに、一緒に、創り出してゆきたいものである。その意味からも、老人よ、無形資産を、惜しみなく、与よ!と声を大にして、云うだけでなく、ボランティアの行動・奉仕という形で、汗をかきたいものである。(冷や汗では、決して、ありませんよ。) 下流老人などと謂う概念には、こうした『無形資産』が、見逃されていて、残念でなりませんね。そんなに有形資産とフローばかりが、尺度ではないと思います。そうかといって、精神的すぎる、メザシや『清貧』でも、カネは生まれないし、勿論、廻らないし、そんなところには、人は来ませんね。無形資産を、(よい意味で、提供して貰う) 盗み出すには、どんなオレオレ詐欺が、必要なのかを、考えてみる必要性はありそうである。詐欺師に、一度、質問してみるのも、必要かも知れません。