小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

夫婦共稼ぎが、半分なのか!:

夫婦共稼ぎが、半分なのか!:

自分も、結婚した頃は、奥さんの資格を生かして、継続して、子供達が、5歳ころになるまで、共稼ぎで、働いたものである。もっとも、その頃は、まだ、待機児童の問題が、それ程、深刻ではなかったものの、それでも、第二子を出産して、職場に復帰するときには、無認可の保育所に一時的に、預けたことを想い起こす。別に、生活が苦しくて、働いた訳でもなく、考えてみれば、随分と、今の時代に比べて、恵まれていたのかもし得ない。しかも、急病などで、預けられない時には、母が、面倒をみてくれていたりと、バックアップ体制も問題なかったことを考えると、今日の保育や育児の夫婦協働は、随分と、大変なことが窺える。時代の要請も、或いは、女性の社会進出も、それぞれの制度の拡充が、伴わないと、大変なことであろう。更には、生活資金の捻出のために、どうしても、夫婦で、共稼ぎをしないと、家賃も支払えないとなると、別の問題でもあろうか、昔は、アメリカから、DINKSなどという結構なコンセプトが紹介されて、子供がいなくて、夫婦二人で、ダブル・インカムで、自由気儘に、暮らせることが、あたかも、夫婦の理想のような言い方がされた時代もあったが、一体、あの頃のDINKS達は、今、どうしているのであろうか?依然として、バリバリで、社会の第一線で、稼ぎまくっているのであろうか?それとも、リーマン・ショックで、没落でもしてしまったのであろうか?女性が社会進出して、その能力を発揮できる場所と機会が、与えられることは、決して、悪いことではなく、むしろ、これからの少子化の中で、必要であろうことは、間違いことであろうが、男性の方の給料や実質賃金が上がることなく、むしろ、低下して、この家計を補うために、共働きということになると、一寸、本筋とは違うかなと、首を捻りたくなる。DINKSだけでなくて、同じく、昔のMISSYなる存在も、今や、どうなっているのであろうか?こちらは、『お一人様』などと、おだてられて、快適な一人暮らしを、続けているのであろうか?もうこれらの人々も、既に、いい歳なっているはずである。まさか、下流老人予備軍にでも、属しているのではなかろうか?共働きが、半分以上になる社会とは、どんな社会なのであろうか?考えてみれば、『共稼ぎ』と言う表現も、いかにも、古くさい、カネに固執したような感じがしなくもなく、『共働き』という方が、時代に適合したコンセプトを理解した、如何にも、垢抜けした表現なのかもしないと思わざることも無い。そうおもうと、時代時代の英語での表現も、今にして思うと、なかなか、興味深いものがある。一寸、そんなことを思いだした。