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小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

メルアドの公開・非公開:

メルアドの公開・非公開:

自身の関わりのある団体で、若者と年寄りの間で、メルアド、出身地の公開・非公開で、様々な議論が飛び交うことになった。その発端は、ある会合で、参加者名簿を作成して公表するときになって、一部の若い人達から、自分のメルアドや出身地を、非公開にして貰いたいと云う希望が出てきたところからである。何でも、まぁ、確かに、名刺にメルアドを印刷して、名刺交換した段階から、既に、自分のメルアドを含めた個人情報などというものは、第三者に、公開されることは、必至であると言われて久しいものである。そういう意味からは、やや分からない訳でもないが、ややこしいのは、対等の立場、取りあえず、対等としても、若い人達から、頭を下げて、お願いするときに、目上の相手の名刺は貰いたいが、自分の名刺は、渡したくない等ということが、果たして、この社会の中で、成立するのであろうか?誠に、最近の個人情報管理という類は、ややこしい話である。それならば、結構ですよ!と、なりかねないことに、気が付かないのであろうか?一体全体、昔は、他人とお友達やお近づきになるときでも、人と人との仲介の労を誰かに、頼んだものでもあるし、又、信用のおける人物を介して、その後、昵懇になるということはあっても、いきなり、見ず知らずの氏素性の分からない相手同士が、意気投合するなどと言うことは、皆無であったことであろうか。LINEでお友達になるのとは、違うのである。だから、昔の人は、皆、『筆まめ』だったのかも知れない。今で言えば、メールまめなのかも知れない。どうも、視るところでは、同一価値観を有する横軸の水平間の関係する人達とは、すぐに、仲良しになる割には、年代を離れた人達の縦社会の関係とかとなると、どうやら、覚束ないかのようにも見受けられる。だからと言って、何でも、ハイハイの体育会系の部員が、優れていたり、社会摺れしているというモノでもない。一体、胸襟を開いて、話すなどというものは、今の時代には、望むべくもないことなのであろうか?それとも、あの人は、裏表がなくて、良い人であるなどと言う評価は、馬鹿で、全く、食えない男だな!などという意味になってしまうのであろうか?手土産を持参するという風習も、いつの間にやら、心配りとか、という類の潤滑油から、何やら、せせこましい、厄介な賄賂と同一視されかねない昨今の時代の流れである。まるで、風呂に入るのに、相手には、パンツを脱げて言いながら、自分は、しっかりとパンツをはいたまま、風呂に入ろうとする類の話なのかも知れない。いやはや、どのように落着くのか、若い人達の考え方が見ものである。ひとつだけ言えることは、年寄りの側では、そういう若い青二才とは、付き合いもしないし、相手にもしないということになってしまうのであろうか?何とも、悩ましい時代の中で生じた世代間(?)のギャップなのであろうか?それとも、今や、そういう時代趨勢なのであろうか?実に、興味深い成り行きである。まずは、しっかりと、彼らの主張を聞くことから始めようではないか?