小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

労働災害というもの:

労働災害というもの:

子供の頃には、随分と炭鉱の落盤事故やガス爆発が北海道の夕張や九州の三井・三池などで、頻繁に起こったものである。あの頃、遺児となってしまった子供達は、一体どんなその後の人生を歩んだのであろうか?中国でも、天津の爆発事故も、その後、全く、原因究明も、報道管制の下、何も聞こえてこないし、又、先頃の深圳での土砂崩れにしても、全く、法を無視した『不作為』以外の何ものでもないのに、賄賂と毒饅頭が、効いているのか、一部の業者と地方政府の下っ端役人だけが、人身御供の如く、逮捕されるくらいで、済まされてしまうのであろうか?それにしても、労働者の被る労働災害というモノは、全く、相も変わらず、悲劇的な結末でしかないのは、どうしたものであろうか?未だに、屋根の材料には、スレートという形で、アスベスト材が、使用されたままであるし、日常では、印刷物に、使用されている印刷用のインクで、肝臓癌や膵臓癌や膀胱癌などの異常に高い集団的な職場罹患確率が、叫ばれているにも拘わらず、一向に、改善されてはいない現状があるのも事実である。毎日、読んでいる新聞も、何気なしに眺めている色鮮やかな広告・印刷物も、換気の悪い部屋で、印刷されて、果ては、長年に亘る労働環境から、先輩が、何人も、癌で死に始めて、初めて、自分の体調も、何か、おかしいなと気づいたときには、既に、もう手遅れの状態なのであろうか?労働災害の裁判では、金銭面で、保証金や和解金が支払われたり、或いは、労働環境が改善されても、これらの知らず知らずに、病に犯されて死んでしまった労働者は、一体、どんな想いを持っているのであろうか?そして、3kではないが、国内から、海外へ、安い労働賃金を求めて、資本の論理で、コストの安い所へ、所へと、渡り鳥の如く、或いは、地下足袋の生産の如く、際限なく、彷徨い歩いてゆくのであろうか?公害を克服するのにも、その現象の警告と告発からしても、『不作為』の中で、優に、10年や20年は、歳月を必要としていた訳であるから、人生、40年以上も働いていたら、既に、半分くらいは、知らぬうちに、病気に苛まれて暮らしていたことにもなろうか?何とも、心痛ましい限りである。印刷物を読むときには、印刷されている現場を想像しながら、想いを巡らせなければならない。