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小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

『幸せを感じない』という時代:

『幸せを感じない』という時代:

『欲しいものが無くなった』とか、或いは、『モノから、豊かな心へ』とか、云われて、既に、久しいが、確かに、子供の頃には、新しいものが、次から、次へと、出てきたものである。テレビ・洗濯機・冷蔵庫、そして、車、ステレオ、着るものでも、木綿のジャンパーから、レーヨンになり、ナイロンの防水ジャンパーが、手に入るように、時代は、移り、お風呂も、薪からガスに、トイレも、和式の汲み取り式から、洋式の水洗トイレに、広告の紙から、トイレット・ペーパーへと、考えてみれば、次から、次へと、技術革新により、新たな進化形が、出てきたものである。まぁ、右肩上がりと云えば、そういう時代だったのであろうか?それにしても、バブルがはじけた辺りから、様相が一変してしまい、今では、若い人は、何でも、『所有から、共有へ』と、『ストックから、フローへ』等と、分析され始めて久しい。横目で、闇市の臭いのした商店街も、今や、シャッター街へと変貌する一方で、巨大な空母よりも大きな浮沈艦のような海外の高級観光客船が、中国人の爆買いと共に、やってくるのを眺めながら、『幸せを感じない』のが、今の日本人なのであろうか?その一方で、国威発揚ではないが、国産ロケットや宇宙衛星が打ち上げ成功の度に、或いは、ノーベル賞受賞の報に接すると、『まだ、日本人も捨てたモノではない』などと、心の底では、溜飲を下げるとは、、、、何とも、複雑な思いである。選挙権も、幸福になる生活の権利も、人権ですら、既に、生まれたときから、与えられたモノには、感謝しなくなるのであろうか?周恩来ではないが、『井戸水を飲むときには、井戸を掘った先人を想い起こせ!』ではないが、『幸せを感じない人』が、多くなるのは、逆に、危機の魁の現れでもあるのかも知れない。