小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

記念日という代物:

記念日という代物:

もう、今年で、結婚後39年、来年には、40年に当たる節目を迎えることになる。これまでも、記念日という代物は、何やら、厄介なもので、忙しさに紛れて、忘れると、一体全体、何をどのように、考えているのかと、強く、誰かに、問い糾されそうでいて、実に、微妙な気持ちになる。さりとて、手帳やスケジュール表に、初めから、年初にでも、あらゆる記念日をインプットしておくことにより、放念しないようにするのも、如何なものかとも、思う次第である。子供が小さかったことには、誕生日とか、何やかやとかで、愉しく、家族皆で、祝ったものであるが、一人欠け、二人掛けとする内に、結局、最期に、残るのは、夫婦二人の間にある共通の記念日となってしまうのであろうか?若い時には、5年とか、10年とか、或いは、毎年だったであろうか、こまめに、記念日に、食事や、小さなプレセントを用意したものである。しかしながら、年月が経過するにつれて、むしろ、精神的なもので、形ではなくて、謂わば、空気や水のような形へと変化して言ってしまうのかも知れない。もっとも、外人のように、毎日、軽いハグをしたり、キスや、将又、「綺麗だね!」とか、お世辞にも、そんな甘ったるいことを毎日、云っているわけにもゆかないものの、心の底では、そういうことも、ある種の形として、表現することも、ひょっとして、大変重要なのではないかとも、何処か心の隅で、感じ入ってしまうこともあるのが、現実であろう。子供達や親の誕生日も、ある頃からは、命日に変わっていったり、何回忌へと変容していく中で、これから、どれ程の結婚記念日なるものが、一緒に、共有出来ることになるかは、定かではないが、それまでは、せいぜい、できる限り、この貴重な記念日成る代物を共有してゆくこととしたいものである。もっとも、どちらが先に欠けるかは、定かではないが、順番からすれば、こちらが先に、ゆくことになるではあろうが、その時に、この記念日なるものは、一体、どのように、記憶されるのであろうか?そう言えば、両親達は、結婚記念日を、どのように、祝っていたのであろうか?聴いておくべきだったかな!?簡単な食事と、ブラッとショッピングを愉しんで、今年も、無事、終了致しました。来年は、いよいよ、ルビー婚らしい。