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小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

強姦再審無罪に考える:

強姦再審無罪に考える:

「冤罪」とは、かくも簡単に、人の人生を12年以上に亘る精神的な苦痛とともに、社会的な破滅にまでも、導いてしまうこと、そして、喪失した時間は、一体、誰に、頼んだら、取り返しがつくのであろうか?被害者の女性の嘘を見抜けずに、或いは、手続き上の医者による検診報告が、看過されていたとか、一体、検察当局も、捜査を進めた警察も、更には、裁判所の裁判官も含めて、陳謝ではなくて、今更、彼らに12年の服役をさせるわけにもゆかず、一体、保障や損害賠償などと云うもので、何が解決されるのであろうか?冤罪の原因とか、究明とか、そんな問題で、済まされるべき問題でもあるまいが、何とも、恐ろしい話である。最近、痴漢行為の冤罪が増加しているとも謂われているが、こちらも、他人事で済むことではない。もっとも、最近では、極端に、混んだ電車などには、乗ることもないから、安心ではあろうが、、、、、、、。結局、又、国家賠償などの時間をカネに換算して、これまでの過去の法令に基づいて、処理されるのが、落ちなのであろうか?何とも、司法裁判というものは、実に、人間の個人の人生を、砂を噛むように、考えているものとしか思えない。「ご免なさい」で、一件落着で、後は、カネで解決というそんなものなのであろうか?失われた時間と人生は、一体、何であったのであろうか?いつでも、何処でも、人には、こういう落とし罠の可能性がないわけではないのかも知れない。法律が自分を守ってくれると思っているのは、人間の方だけで、法律というものは、実は、それを執行する側の恣意的なものが、おおいに、左右してしまうものなのであることを改めて、充分、再認識しておかなければならないのかも知れない。