小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

映画、「Nourin Ten 稲塚権次郎物語」を観る:

映画、「Nourin Ten 稲塚権次郎物語」を観る:

何でも、銀座のすばる座で、公開されている仲代達矢主演の映画の案内が、小学校の同級生から、メールで案内があったので、これを見に出掛けることにした。案内によれば、夫君の中堀正夫氏がこの映画を映像監督として、監修関わったので、観て貰いたいと云うものであった。とにかく、映画は、その邦画・洋画を問わず、良い作品を観るのは、元来、好きであるし、又、いつでも、何処でも、シニア割引が効くので、有難く、見に行くものである。もう、仲代達矢の演技する映画も、そんなに、数多く観られるものではないかも知れないので、貴重な映画になるかも知れない。カメラ・ワークに関しては、写真も映画の撮影も門外漢だから、技術的には、良く評価は分からないものの、少なくとも、映像的に、美しいかどうかくらいは、素人の目にも、判ろう。確かに、映画の中には、日本の美しい田んぼや畑の、しかも、四季折々の、或いは、朝晩の景観が、鮮やかに、映画の一シーンとして、取り込まれている。それは時として、真冬の深い雪の中での辛い別れであったり、桜が咲き乱れる春のシーンだったり、秋の稲穂や麦が、黄金色に、染まる風景だったり、初夏の一面、青々とした田園風景でもある。それは、「日本の原風景」でもあるのかも知れないし、稲塚権次郎自身が、抱いていた「強い信念の持続性」の象徴であったのかも知れない。コシヒカリという稲の品種の名前くらいは、皆、日本人は、知っていても、それが、元々、陸羽132号や農林一号や、それ以前の品種改良によって、生み出されたこと、或いは、一つの品種改良にも、5年や10年という歳月が必要であること、更には、映画の中で、知ることになるであろう事実、即ち、年に一度しか開花しない時期に、しかも、開花しているその僅か、1-2時間にしか、受粉作業を、何百、何千という交配種の試作を完了させ、それを種籾から苗に、育て上げ、その後、収穫量のデータをとりながら、更には、気の遠くなるようなデータの精査と整理を行いながら、新品種の実証試験後に、初めて、認定され、世に、送り出すというプロセスが、必要であることが知れよう。昭和初期の恐慌と東北飢饉から、米の新種改良とともに、後に、戦後の食糧難を解決することになる、稲の農林1号の新品種達成に、稲塚権次郎という人物は、おおいに、貢献した。今日のコシヒカリなどの美味しいお米は、それらの延長線上にあることを忘れてはならない。それにも拘わらず、その後の戦争国策の延長線上に、今度は、稲から、「小麦」の品種改良・増産を、新たな課題として、課せられることになる。そして、背丈の低い、倒れにくい小麦の新品種改良を、農林10号という形で、最終的に、結実させるも、戦争という国策による人事異動に伴い、困難な中国北京での海外展開・研究の新たな使命を背負わされることになり、これが、戦後3年間に亘る過酷な中国残留という肉体的・精神的な苦痛と試練を、その妻にも、与えることになる。まるで、それは、満蒙開拓団のような試練と云っても、云えなくはないであろうか?稲垣権次郎という人物は、本当に、ある種の「強い使命感と持続性」を生涯に亘って、持ち続けていたことは、この映画からも判るし、最期のシーンで、亡き両親や妻に対して、お詫びをするところにも、この人物の本当に、私心のない、一国家公務員としての矜恃を観るようである。それは、実は、その心が、そっくりそのまま、稲や小麦の穂の実りとして、或いは、その延長線上の「人々の幸せ」を、あの美しい原風景として、撮らせ、描かせたのかも知れない。私には、そんな風に、思えてならない。それにしても、昔、といっても、私の両親達が生まれる少し前の時代には、お金がなくても、村の当主が、私財を援助しても、優秀な若者に教育を施し、世のため、人々のために、働くというそんな使命感が、援助する側にも、又、受ける側にも、そうした眼には見えない暗黙の互いに共通する「矜恃」のようなものを、感じざるを得ない。やがて、それは、戦後、占領軍によって、持ち出された農林10号が、アメリカから、メキシコへ、渡り、ボーローグ博士が、その収量を従来の2-3倍へも拡大させ、「緑の革命」というその人類への貢献により、ノーベル平和賞を受賞する事になるとは、、、、、、、。同じ、大正年間に、岩手県盛岡の農業学校出身の「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」と謳った宮沢賢治は、その陸羽132号の普及を指導したのも、決して、新品種普及というニーズばかりでなく、むしろ、稲塚権次郎の共に、共有する、「人々の幸せの実現」という大いなる「使命感・矜恃」が、底流には、流れているのではないかとも、思われてならない。美しい風景の映像美には、実は、そんなメッセージ性が、込められているのではないかとも、映画を見終わって初めて、気が付くのは、私一人だけではなかろう。ノーベル賞を受賞しなくても、日本人にも、こんな素晴らしい人物が、いたことを忘れて、パン、うどん、パスタやご飯を食べている自分が、誠に、情けなく思ってしまう。成る程、農林10号ではなくて、「Nourin Ten」 だった理由が、納得される。そして、業績というものは、一個人に委ねられるのではなくて、それは、連綿として、後の人に、継承され、その「信念を持続する精神」は、何らかの形で、永遠に、受け継がれて行くということが、改めて、再認識される。穀物でも果物でも、新しい品種が、市場に出るまでには、こうしたたゆまぬ努力と苦労が、人知れず、行われてきた結果で、まさに、今も、こうしている間にも、現在進行形であることに、我々は、気づき、感謝しなければいけないのかも知れないし、そういう精神を継承しうる「人創り」をしてゆかなければならないのかもしれない。美しい原風景とは、そういうことなのであるのかもしれない。晩年、美しい畑やたんぼ道を、自動小型バイクで、精力的に、走り回っていたという稲塚権次郎先生の姿は、今日、その住民達の眼の中に、しっかりと焼き付いていて、その精神も、未来の大人達にも、継承されていることであろう。映像は、そんなことを物語りたかったのかもしれない。