小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

見知らぬ人と会話をすると謂うこと:

見知らぬ人と会話をすると謂うこと:

軽井沢のプリンス通りの馬越ゴルフコースの丁度角に、小さな赤いレンガ作りのル・テロワール軽井沢(Tel: 0267.41.0949  軽井沢町発地1408-27)という軽井沢には、極めて珍しい古道具カフェ(私が、勝手にカテゴリー分類したので、オーナーには、実に、迷惑、失礼かとも思われるが)が、まだ、不定期営業ではあるが、オープンしている。だいたい、年寄りは、教養・教育がなくても、「きょうよう」(今日、用事がある)と「きょういく」(今日行くところがある)を有することが、とても、大切で、何でも、一日に、最低でも、5人くらいの人と会話しなければ駄目だということを、老人体操教室、筋力トレーニングの時に、風聞したことがある。確かに、ここを訪れると、見知らぬ誰かと、それも、ついさっきまで、全く見知らぬ他人同士が、勿論、無粋な名刺交換などは、御法度であるのはもちろんである。(まぁ、名刺交換しても、決して、構わないのであるが、、、、)面白いことに、オーナーの簡単な紹介で、瞬時にして、この異空間の中では、旧知の友のような間柄に、なれてしまうのは、実に、不思議である。それも、年齢、性別、職歴、学歴などは、一切、お構いなしにである。全く見知らぬ人との会話というものは、どんな作用を人に、与えるのであろうか?こちらは、脳科学者ではないから、定かではないが、きっと、想像するところでは、脳には、おおいに、刺激的なことではないであろうか?昔、米国で、見知らぬ人から、公園で、ハーイと挨拶を交わすことに、日本人としては、違和感を持っていたものの、このすれ違いざまに、ハーイという挨拶を交わすそういう感じでは決してない。古道具という時空を超えて、その使用したであろう人物に、想像しながら出逢えることや、想像する事自体を許される時間の自由さを満喫するのも、構わないし、オーナーとの短い会話や同席者との会話の中から、或いは、自分の好きな旧い聴いてない昔のレコードを持ち込んで、一緒に、そのメロディを聴いたり、当時の想い出話に花を咲かせたり、美味しいコーヒーや御牧ヶ原産のハーブ・ティーを堪能することも、一向に構わない。そう言えば、偶然、相席・同席するとかいうコンセプトで、若い男女が出会う居酒屋が東京にはあると云われているが、そういう不純な商業的な動機のモノでももちろんない。オーナーの蘊蓄は、客の側からみて、けっして、向こう側から、一方的に、説明がされるのではなく、客の側からの対話という「きっかけ」が、その古道具という小道具を媒介にして、初めて、それも、店内に飾られている古道具、それ自体の説明だけでもない、それは、その時代考証や歴史や、それに付随した文化・哲学・芸術・美術史にまでも、或いは、当時の生活の様子、更には、客の暮らした当時の思い出話、或いは、客の父親・母親、更には、祖父母の思い出までも引き出してしまうようなそんなマジックが、そこには、隠されているようである。決して、押しつけがましいモノではないのである。謂わば、オーナーは、見知らぬ人同士を同じ共通空間の中へと導くようなそんな役割、見知らぬ人同士をお互い、会話したくなるようなそんな雰囲気を演出する魔術師なのかも知れない。ル・テロワール軽井沢という古道具カフェには、そんな雰囲気が、漂っているのかも知れない。同席したご老人は、今度は、ナットキングコールのレコードを持参するそうであるから、是非、私も、昔の中学生時代を想い出して、聴いてみたいものである。すっかり、ファンになってしまいました。

ル・テロワール軽井沢(Tel: 0267.41.0949  軽井沢町発地1408-27)