小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

日本の高校生7割が、自分は、駄目と考えているのか?!:

日本の高校生7割が、自分は、駄目と考えているのか?!:

「いつまでたっても駄目な私ね!」などと、歌謡曲の歌詞や台詞ではないらしい。米・中・韓の高校生に較べて、日本の高校生7割余りが、「自分は、駄目な人間である」と、考えているらしい。一体どうなっているのであろうか?我々が、高校生の頃は、親や大人に反抗したり、反発したり、あんな人間には、なりたくないなどと、若気の至りで、ある者は、ツッパッて、長い髪の毛や、ラッパ・ズボンや、おおいに、エスタブリッシュメントに反抗的であったが、決して、自分に対しては、駄目人間であるとは思うことはなかった。むしろ、積極的に、如何にして、自分を否定する「自己否定」という、大人になるための壁の前で、呻吟としたものである。一体、今の若者は、どうなってしまったのであろうか?成る程、識者によれば、今の学校教育とは、学業に秀でるか、クラブ活動に、秀でるか、それとも、空気をよく読んで、友達付き合いを無難に、こなせるスキルがないと、「居場所がない」そうで、褒められる場所が、学校以外に、地域社会でも、家庭内でも、もはや、今日では、存在しないそうである。昔は、学業が振るわなくても、何か、趣味や、三角ゴロ・ベースに秀でていたり、その途で、達人と称された友人がいたものであるが、今や、絶滅・死滅寸前なのであろうか?家庭内でも、高学歴の両親に圧迫され、褒められることがなく、学校でも、偏差値とテストの点数で、人間性までもが判断され、或いは、地域社会の活動にも参加することなく、農作業などの肉体労働もすることなく、精神的に、消耗してしまっているのが、実態なのであろうか?自然体験もなく、地域での社会体験での経験を経ることなく、無性に、言われなき理不尽な辛い上下関係も経験することなく、いつしか、自己肯定感も失せ始めて、精神的にも、肉体的にも、萎えてしまうのであろうか?これでは、恋愛も、恋人探しも、況んや、結婚願望をやであろうか?そんなこと言うと、今や、そんな嫌みを言うようなヤボなおじさんは、嫌われてしまうのか?昔は、こういう種類のお節介なおじさんやお爺さんが、町内や、親戚にも、居たものであるが、今や、絶滅危惧種になってしまったのであろう。子供達が、駄目なのではなくて、結局は、大人が、駄目なのであるのかも知れない。どうしたら、再び、将来への希望を持て、自己肯定感と高揚感を甘受でき、 Boys, Be Ambitious , like an old gentlemanといったクラーク博士のように、自信を持って、大人が範を示さなければならないのかもしれない。反面教師としての大人の心理が、実は、投影されているのかもし得ない。考えさせられてしまう。