小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

下流老人という響き:

下流老人という響き:

何とも、響きのよろしくない、嫌な感じの言葉である。しかしながら、最近では、徐々に、この言葉を目にしたり、聞いたりする機会が、増えてきたような気がしてならない。以前から、現役の頃、出張で出掛ける早朝に、電車内で、多くの非正規労働者を見かけたが、今や、それは、夜更かしで、酒に酔っての朝帰りではなくて、30代から、40代にかけての夜勤明けとおぼしき非正規労働者で、この人達は、間違いなく、今や、40代・50代になっているはずである。又、晩婚化のせいで、独居老人や、シングル・マザーなどの高齢化に伴い、病気や健康リスク、或いは、経済的な変動により、不幸にも、職を失ったり、自己破産に追い詰められる人が、増加しているという。何とも、社会的なセイフティー・ネットは、何処へ行ってしまったのであろうか?年金問題も、定年延長も、今や、経営者並に、「生涯現役」などと、言ってはいられないくらいに、今や、65歳や70過ぎまでも、パートで、収入を得なければ生活できなくなりつつあると云われている。住宅ローンや教育ローンを定年後にまで、抱えている場合には、どうなるのであろうか?人生設計というものは、今日、本当に、若い時から、よくよく考えておかなければならないのかも知れない。介護問題などと、他人事と思っていると、いつの間にか、テメェが介護される番に、気が付けば、いつしかなってしまう。健康余命などとうまくいったものであるが、ところてん式に、すべての人間は、待ったなしに、生まれたときから既に、押し出されてゆく過程にあるわけであるが、健康余命がある内に、何が、できるのであろうか?あるテレビ番組で、芸能人を面白、可笑しく、格付する規格があったが、気が付けば、日常生活の中で、知らぬうちに、自分自身も、格付されているのかも知れない。実に、嫌みな世界になってしまったものである。労働の悦びなどと云ったものは、何処へ、消えてしまったのであろうか?労働に見合ったリーズナブルな報酬というものも、今や、生涯現役の中で、死ぬまで働かなければならないのであろうか?何とも、この言葉の響きには、考えさせられてしまう。