小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

戦後70年談話に見るキーワード:

戦後70年談話に見るキーワード:

今日では、何かをネット検索するときには、所謂、「キーワード」を打ち込むだけで、関連する資料が入手出来る。成る程、これを逆手にとって、談話やスピーチは、逆に、本来、言いたくない言葉でなくても、それらをちりばめておけば、それなりに、表面上は、綺麗なキラキラと輝くような談話にもなるという訳である。そういう意味からすれば、既に、近隣外交問題化してしまったこの問題に対して、世論も含めて、或いは、安保関連法案による支持率の低下を気にするものから、上述のような4つの「キーワード」をちりばめることになったのであろう。それにしても、所詮、こういう努力を払った割には、依然として、反日を国是とする韓国や、抗日戦争を唯一の政治的正当性の存在として目論む中国共産党にとっては、何を言おうが、言うまいが、或いは、キーワードを入れようが、批判の対象にならざるを得ないことは、非をみるより明らかなところであろう。所詮、言葉というものは、明らかに、その発するところは、行動と意識に裏打ちされて初めて、言葉も、輝きを増し、受け容れられるものであることは言を俟たない。その意味で、毎年の全国戦没者慰霊式典に於ける天皇のコメントは、70年戦後談話に較べて、ずっと、その言葉の重みとこれまでの行動において、重いモノがあろう。詳細に、英語の翻訳も読んでみたが、事変が、incidentなる軽い、言葉になっているとは、驚きである、そこには、「事変」によって、どれ程の人々の人生や運命が狂わされてしまったということは、全く感じられず、まるで、他人事みたいに、単なる事件のように、響いてくる。ましてや、将来の孫や子孫に、お詫びを継承させないとなると、一体、日本人は、原爆の際に、「過ちは二度と繰り返しません!」と世界に、誓った 絶対平和主義の理想は、積極的平和主義という言葉の中で、如何なる位置を占めることになるのであろうか?如何なる言葉よりも、今後は、どのように、談話に盛られたキーワードの精神が、具現化されてゆくのかを一人一人の国民が、見守り、作り上げてゆくしか途はないとも思われるし、多いに、監視してゆかなければならない。言葉を言葉たらしめるに足る個々人による行動と実現しか途は残されていないであろう。