小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

鶴見俊輔を追悼する:

鶴見俊輔を追悼する:

姫岡玲治に続き、奇しくも、鶴見俊輔の93歳での死亡が報じられた。「思想の科学

」も、丸山真男都留重人も、最近では、戦後民主主義の硬派の議論も、時代と共に、萎んでしまったのであろうか?IT技術が今日これまでに進化したにも拘わらず、相変わらず、代議制間接民主主義制度の虚構に、安穏として、依拠し、僅かな得票率でも、議席数においては、数多くのマジョリティーを有するという訳の分からない小選挙区制度により、相変わらず、一票の格差是正も、ままならず、直接民主主義の理念は、いつしか、議会外での直接行動の収縮に伴い、依然として、問題の解決には至っていない。「何でも見てやろう!」と、世界に出ていった小田実と結成された、「ベ平連ベトナムに平和を、市民連合」は、今にして思えば、党派制を乗り越えて、広く、一般市民・学生を巻き込んで、反戦・反安保の運動の底流を担ってきた思いが、今にして、想い起こされようか?あの新宿駅西口広場を埋め尽くした反戦フォーク集会も、今にして思えば、隔世の感があろう。時代のイデオローグとは、よくいったものであるが、歴史を振り返ってみると、その時代時代に、思想の流れのなかでそうした人物がいたものである。そういう意味からすれば、今の若い人々の中に、近い将来、日本の思想史の中で、リードできるような人物が一体、どれ程、存在しているのであろうか?もはや、年寄りは、そんなことを心配する死滅世代に、なろうとしている。戦後70年、今や、60年安保世代も、70年安保世代も、ところてん式に、時間という無慈悲な流れの中で、死滅視されようとしている。これからの世代で、どんな新しい思想家が、出てくるのであろうか、それとも、既に、どこかで、雌伏しているのであろうか?なかなか、姿・形が、見えてこないのは、淋しい限りである。