小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

青木昌彦(ペンネーム、姫岡玲治)氏の死:

青木昌彦ペンネーム、姫岡玲治)氏の死:

ノーベル物理学賞受賞の南部氏の死亡記事の少し下で、小さく、スタンフォード大学ノーベル経済学賞候補として謳われた青木昌彦氏の記事が、不思議と、眼に飛び込んできた。どこかで、聞いた聞き及んだ名前である。うまく想い出せない。しかしながら、その小さな記事の中で、確かに、ペンネーム、姫岡玲治という名前が、僅かに、一行、見える。そうか、あの60年安保の当時の姫岡玲治だったのか、島成郎と並んで、BUNDの理論的な指導者で、その安保闘争後、何でも、宇野マル経済学論から、アメリカに渡り、「比較制度分析」という新たな手法を開拓したとは、風聞していたが、もうあの頃の指導者達も、随分と、鬼籍に入ってしまったものである。巷間では、安保戦争法案に対する反対運動が盛り上がっているが、何とも、一つの時代の終焉のような感慨がないわけでは無い。どんな気持ちで、60年安保闘争を自分の中で、総括を行い、どのような気持ちで、米国の大学で、勉強し直し、どのような気持ちで、その後の人生を米国から、日本を眺めてきたのであろうか?そう言えば、僕らの時代でも、経済や政治状況の現状分析という手法が存在したが、一体、今日は、アベノミックスではないが、日本経済、或いは、世界経済の現状分析は、どのように読み解かれているのであろうか?60年当時の姫岡とその後、渡米してからの青木との間には、如何ほどの差異があったのであろうか?亡くなる間際での異国から眺めた日本の安保関連法案は、彼の目には、どのように映ったことであろうか?又、一人、60年安保の時代を担ったひとりが、消えて云ってしまった。もはや、60年安保も、そんな時間のなかで、経過していった時代だったのであろうか?やがて、それは、同じように、70年安保にも云えようが、今日の安保関連法案は、どのように、後世、語られることになるのであろうか?