小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

Heart of a SAMURAIを読む:

Heart of a SAMURAIを読む:

少年少女向けの英語の本を読みながら、涙を流してしまうのは、どうしたモノであろうか?考えてみれば、英語の文字の一字一句を読むのもそうであるが、この本の主人公である「中浜万次郎」の自伝に関して、ある程度の事前の知識があるから、その時の本人の立場を慮れば、自然と涙が流れでてきてしまうのかも知れない。それにしても、自分が生まれる僅か、約百年前の物語である。14歳になる少年漁師が、鳥島に、遭難して、奇跡的に、米国の捕鯨船に救助され、しかも、その航海の途中で、英語と航海術を学ぶ姿勢をみた船長であるWhitfieldの個人的な厚意によって、米国へ、渡り、しかも、英語を含めた学業と航海術を広く学べるという僥倖に恵まれるということが、本当に、そんな昔に、あったのであろうかとも、驚いてしまう。人間の人生とは、まことに、人との出逢い、或いは、僥倖に恵まれても、それを僥倖であると、その時には、認識できず、結局、無駄にしてしまうことも珍しいことではない。人生の選択とか、岐路とか云うものは、好奇心と努力とある種の未来に対する「何でも見てやろう」式の楽天主義がないと、僥倖自体を生かすことが出来ないのかも知れない。それは、一緒に、救助された仲間達とは、おおいに異なる人生の選択であったことだけはまちがいないであろう。まるで、人生とは、黒潮に乗るが如き航海のようなものであることが、読みながらも、理解出来ようか?米国滞在中にも、様々な二度に亘る教会での人種差別とか、バートレット航海学校での試練とか、困難な試練を乗り越えて行くこの日本人漁師の少年から、青年へと生まれ変わって行く過程は、そして、14年ぶりに帰国を果たしたあとも、スパイ扱いを免れず、故郷の高知の土佐清水に、戻るまでの過程は、国を超えて、青少年に、未来は、自らの力で、その僥倖を生かすべきものである事を、力強く、訴えているようである。Falling down seven times, get up eight という親から教わった心意気を、異国でも、実践し、帰国を果たし、幕末のペルー来航時の時局の中で、通史として、或いは、英会話、航海術、更には、西洋文明に関する生の情報を幕府に、提供したことは、その士という身分に仕立て上げられたこととは、別にしても、生まれた時代背景を考えれば、全く、僥倖であると云うほかはないのかも知れない。米国を離れて、19年後には、約束通り、再び、外交使節団の一因として、再び、43歳で、長い航海を経て、船長夫妻と再会する。そして、1898年、71歳で亡くなるまでに、様々な英語での本を出版したこと。そして、John Mung,こと、ジョン万次郎を記念して、友好都市の締結と互いの友好の印に、交流イベントを開催していること、又、現地の小学校でも、英語の教材として、使用されていることなど、本書に掲載されている本人の手書きのスケッチ画を含めて、興味深いモノがある。最後に、皮肉にも、今日、捕鯨が国際的に孤立しているものの、当時は、鯨の脂が貴重な資源で有り、捕鯨船団の兵站補給基地が、重要な課題であったことも、我々は、おおいに、忘れてはならない。文中に見られるある種のフィクションは、それはそれとしても、充分、青少年には、自分の同じ歳の少年の人生を、我が人生のように、考えられる良い機会になることと思われる。