小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

「倫理的消費」とは、何ぞや?:

「倫理的消費」とは、何ぞや?:

倫理的、ethicalとは、何ぞや?何でも、新たなマーケティングのコンセプトとして、これが、注目されているという。モノが作られる背景を知ってから買おうというものらしく、新たな消費の掘り起こしを狙う小売業からのアプローチであると云う。今更、マックス・ウェーバーではないが、ピューリタニズムの倫理性と資本主義の精神どころの話ではない。まるで、貪欲な華僑が、流通業を制して、すべてのモノつくりの利益を一挙に、絡め取った如く、今日、今更、こんなコンセプトを持ち出されて、新たな需要を掘り起こされたくはないというのが本音であろう。そう言えば、ナイキではないが、あれ程までに、安い労働力を発展途上国で、違法にも、就学前の子供達を不当に安い労働力として、シューズ造りに活用していたり、バングラディシュでの縫製品にしても、同様に、これでもかこれでもかという程、安い低賃金労働者を使って生産していたことをおもうと、それ程までに、そういう資本主義の原理原則が、必要不可欠であったのであろうか?もっとも、我々は、平気で、安ければよいという、牛丼をたらふく食べても、それが、如何に、低賃金モデルケースとして、デフレの上に、成り立っていることを知ろうともしないし、同じ労働者で有りながら、気が付くこともない。一体、この倫理性の先に、何が見えてくるのであろうか?そして、我々、消費者は、どのような観点から、こうした資本の論点からの新たなコンセプトに、戦えるだけの強固な、且つ、対峙出来うるコンセプトを獲得できるのであろうか?ピューリタニズムの倫理性は、何処へ行ってしまったのであろう。何処かの爆買いを笑って見てはいられない。