小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

不偏不党の放送とはあるのだろうか?:

不偏不党の放送とはあるのだろうか?:

お上の呼び出しという包装に対する一種の物言わぬ恫喝に対して、旧態依然たる論理として、報道の自由と放送の不偏不党が、又もや、持ち出されているが、まるで、一種純粋培養されたような憲法論議のように、攻める方も守る側も、ある種の報道に対する「幻想」がないだろうか?新聞でも放送でもネットでも、NHKという存在を覗いては、皆、民間資本で、底には、ある種の異なる主張が、存在しても良いし、ハッキリとした自己主張が、社説同様、あってもよろしいではないか?むしろ、その方が、右から左まで、様々な解釈がこんなに、ひとつの事例をみてもあるのかと驚くくらいでも宜しいのではないだろうか?むしろ、こうした様々な意見表明の方が、本音と建て前と狭間で、揺れることもないだろうし、選択肢の余地が拡がるのではないだろうか?政党も、逆に、自前の報道を通じて、政策を訴えかけるという「自由化」があっても、いいのではないだろうか?不偏不党というスタンスも、こうした中から、改めてその生きた本当の価値が、ひょっとすると、見つけられるのではないだろうか?何処のチャネルも同じような主張ではなくて、NHKを真ん中に、右に2局、左に2局、とか、様々な本音を主張する物言いがあっても良いのではないだろうか?