小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

人工知能で消失する職業?:

人工知能で消失する職業?:

何でも、将来(?)65%もの職業が、人工知能に取って代わられて、なくなる運命にあるそうである。一体、その将来とは、何年くらいを意味するのであろうか?そう言えば、若い頃に、入社当時には、電話交換手という職業があったし、総務課の女性が、和文タイピストの資格を有していて、一定の時間労働すると、一定の時間を休憩するという何とも羨ましい限りの労働条件だったことを想い起こす。それも、これも、電話交換機やワープロ、PCソフトの発達で、いつのまにやら、消滅の憂き目にあい、なくなってしまったが、これからの博物館には、昔、こんな職業がありました式の展示が、人気を博することになるやも知れない。竿だけやや金魚売りも、該当するのだろうか?恐らく、自動安全運転装置とか、これからは、ある種、機械、否、人工知能様と一緒に、暮らしてゆく、ひょっとすると協業の時代に突入するのかも知れない。そうなると、一定の地域の循環バスなども、自動化されてしまい、それこそ、ゴルフ場のカートではないが、一定のレールの上を規則正しく、事故なく、運転するようなサービスが、拡大することになるやも知れない。或いは、タクシーの運転手も、行き先だけを告げると、ベストの最短ルートで、一番安い費用のコースを道路混雑状況も瞬時に分析して、連れて行って貰うことになるやも知れない。そうなると、一体、人間とは、何を特徴として、生きているのであろうかとも、思わざるを得ない。「我思う、故に我在り」などと云っている場合ではなくなるかも知れない。そんなことを考えている暇に、いつの間にか、自分の仕事が、なくなってしまうのかも知れない。考えることまで、負けてしまうとなると、一体、人間とは、何ものなのであろうか?一般職、専門職、管理職なる言葉があるものの、一体、自分は、何ものになったら良いのであろうか?そうか、人工知能にプログラミングする側の人間になるのが、まずは、手っ取り早いのだろうか?これからの若い人は、大変である。職業選択の自由も狭められてゆくのであろうか?どんな未来が、待ち受けているのであろうか?興味が尽きない。