小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

老犬ホームなるもの:

老犬ホームなるもの:

人間は、自分が歳衰えて、老人ホームに行かなければならなくなる時には、愛犬をどうするのであろうか?最近では、人間専門ではなくて、犬専用の老犬ホームが提供され始めていると報じられている。人間の寿命と犬の寿命の速度が、同じであれば、単純に、足し算をすればそれで、済むのであろうが、実際には、そうはゆかない。犬のスピードの方が、はるかに、6倍もの差が生じるのが、現実である。10才までが、X6で、それ以降は、+4倍だそうである。我が愛犬も、これに習うと、随分と長生きをしたものである。人間年齢になぞらえれば、92才を超えて、大往生かどうかはわからぬが、最期を看取って上げられたことは、本人は、どう思っていたのかは分からぬが、こちら側は、悔いなく、面倒をみられたという満足感はあろうか、それにしても、流石に、13歳頃までは、足腰も目も問題なく、頑張っていたのに、最期の2年ほどは、白内障で、目も見えず、お漏らしもするようになったので、外で、飼うことを諦めて、家の中に、入れて、オムツをあてて飼うことにした。本人は、心なしか、家族と一緒に住めることがとても嬉しかったのであろうか、自由、気儘に、家の中を歩き回り、テーブルの下の絨毯の上で、午睡をすることが大好きであった。老人病院も、老犬ホームも、同じように、一度入ったら、死ぬまで、出られないという点では、何とも、切ないような気がしてならない。我が愛犬は、外で飼っていたから、それが、当たり前だと思っていたが、晩年、家の中で飼ってみて、本当は、家族と一緒に、暮らしてみたかったのかなぁとも、思う。生き物を飼うとは、結局、一緒に、その生き物とともに、「人生を歩む」と云うことであって、ただ、餌を与えて、飼育するだけではない。将来は、或いは、既にそうなっているかも知れないが、遺言で、愛犬に、終身扶養保険を与える人も、出てきそうであるが、必ずしも、人間をないがしろにして、犬や猫にと、一概に、非難されるものでもなさそうである。もし、災害や何らかの理由で、最愛の動物を手放したり、先に、自分が逝く場合には、こういうホームも必要になってくるのかも知れないが、必ずしも、人間様が優先であるとも、言い切れぬものがあろう。自分の場合には、そうならなくて、見送れたから、良かったのかも知れない。もう、これからは、自分で、愛犬の面倒をみることもないであろうと思うと、少々、淋しくなるが、、、、、、、、。子供達でも、飼ってくれるようであれば、別であろうか?その時は、間違いなく、こちらが先に、見送られることになろう。