小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

工業デザインの生まれる土壌とは?:

工業デザインの生まれる土壌とは?:

音楽でも、著述業でも、何でもそうであるのかも知れないが、その途一筋で、何十年もの長い間、飯を喰うと云うことは大変なことであろうかと想像される。とりわけ、それが、工業デザインとなると、それはそれで、大変なことであろうかと、思われる。出来上がったものを我々は、観て、成る程、成る程、などと頷くことはあっても、それを、自分で、創作してみろと言われるとなると、いくら、お金を積まれても、なかなか、年賀状の版画を期日までに、自分で、刷り上げるのとは、訳が違う。そこには、血の滲むような努力とたゆまぬ創造力が乾いたタオルを、脳みそを、これでもかこれでもかと絞り上げるように、練り上げられた賜物ではないだろうかと想像される。キッコーマンの卓上ビンも、今にして思えば、注ぎ口が、垂れないように工夫されていたり、瓶自体を、小型化して使用するという発想自体が、斬新だったり、そのデザイン的な形状のみならず、発想自体が、問われているのかも知れない。そう考えると、工業デザインとは、ユニバーサル・デザインではないが、一寸した僅かの違いの中に、実は、もの凄く大きな差異があって、そこにこそ、本当の隠された価値を見いだし、デザイナーは、心血を注ぐものなのかも知れない。製品のデザインというものは、社内の専門的なデザイナーが、担当するだけではなくて、広く、このように社外の新しい息吹も必要不可欠なのかも知れない。バイクも、音響機器も、調理器具も家具類も、車両のデザインも、住宅の形状までも、あらゆる分野で、こうしたデザインナーが、活躍できうる可能性が秘められているものの、なかなか、日本では、北欧のようなこなれた新鮮なデザインが、最近では、生まれてこないが、栄久庵憲司氏の死に際して、そんな思いを抱く。どうしたら、ファッション・服飾デザイナーや建築デザインという分野ではなくて、工業デザインの分野で、どうしたら、そういう人が、生まれてこれるのであろうか?若い人に、期待したいと同時に、その自由な発想と創造性を生み出せる環境とは、どんなものなのであろうかと思ってしまう。創り出すのではなくて、どうしたら、自然に、生まれてくるのであろうか?どんな土壌と環境が必要なのであろうか?門外漢の私には、大変、興味深いことである。