小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

なぜ、若者は田舎へ向かうのか?:

なぜ、若者は田舎へ向かうのか?:

残念乍ら、長野県・中川村での信州地方自治学会主催のFBフォーラムに、参加できないが、パネリストの創造美学舎のマゼコゼさんの事前のコメントを読んでいて、懐かしく、若い頃のことを想い起こす。60年代の後半、未だ若かった我々は、寺山修司の「書を棄てて街へ出でよ!」という言葉に、痛く、感激したことを今も、はっきりと、覚えている。その頃は、友人の汚く、狭い四畳半のアパートに、今では、間接喫煙の被害者に間違いなくなるであろうショート・ホープの臭いが染みついた中で、夜通し、酒を酌み交わしながら、どのように行動すべきか、或いは、自らの主体性について互いに論じていたものである。そう言えば、羽仁五郎の「都市の論理」という本を、当時、友人が読んでいたことも想い出すが、まずは、高橋和己ではないが、悩みに、悩み抜いた末に、主体性を如何にして、確立して、この主体的な独立と、そして、社会的な具体的な行動を起こして、理想を実現するか、現実を如何にして、打破し、改革してゆくべきかを、それぞれの個人個人が、問われていたし、それを、現実の場に、deployしてゆくのかを、都市の片隅で、論じていたわけである。だからこそ、「書を棄てて街へ出でよ!」Throw away Books and Rally in the Streets(ここでのRallyと言う言葉が曲者であって解釈が微妙で、単に街へ出るという単純な意味ではないことは、分かろう)と言う言葉は、現実味を帯びて自分自身に直接、迫ってきたし、結局、その後、本当に、国を飛び超えて、飛び出してしまったり、本当に、世を捨てて、ドロップ・アウトしたり、「塀」の向こう側に、行っていまい帰って来なかったり、自らを責めた挙げ句に、「あちらの世界」に、逝ってしまった者もいる。その頃は、田舎というイメージは、牧歌的な、優しく、自分を受け容れてくれるところではなくて、むしろ、封建主義や差別を、それは、若者独特の反抗的な身勝手な考え方だったのかもしれないが、否定した上で、超えなければならない、福澤諭吉の評する「封建制度は、親の仇である」式のフィーリングだったのかも知れない。今日、交通やIT通信インフラの進歩に伴い、何処でも、便利に、連絡やネット通販でも買い物が出来、手に職さえ持っていれば、地方でも、豊かな暮らしが出来得る環境であるのとは、大きく、異なるのかも知れないが、、、、、。都会にいるにせよ、田舎に向かうにせよ、喰う飯の種がない限り、何処の世界でも、なかなか、夢の実現は難しいものであろう。今日の漠然たる気持で、何とかなる式な考え方では、決して、現地でも受け容れられないし、夢の実現などは、「夢の又夢」であろう。受け容れる側でのインフラの整備も重要であろうが、そもそも、行く側のしっかりした自覚と目的意識が存在しなければ、互いに、ミス・マッチングを生じてこよう。こんな筈ではなかった式の挫折は、いつでも、何処にでも、起こりうるであろう。僕らの時代には、社会の中で、ドロップ・アウトしたり、ヒッピーで、世界を漫遊したり、果ては、IT起業の経営者になっている者もなくはない。都会にいるにせよ、田舎にせよ、自立・自主・独立・メシの種をしっかり、確保することを目指さない限り、決して、双方にとっても、互いに、良いことではないであろう。そう言えば、寺山は、「田園に死す」というものもあったとうっすら、記憶しているが、決して、そうなることのないようにして貰いたいものである。「若者は、荒野を目指す」というものもあったことも、想い出す。時代も、当時と、大きく変わってきたのであろうか?どうだろうか?