小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

世田谷区教育カフェⅡに参加してみた:

 

世田谷区教育カフェⅡに参加してみた:

世田谷区長である保坂展人氏のFBで、開催を知り、別に世田谷区民ではないが、教育支援の在り方を探るカフェ方式でのフォーラムに参加してみることにした。ほとんどの参加者が教育現場に何らかの形で関わっている人達であるが、地域社会の中では、むしろ、そういう聖域でない部外者の方が、目から鱗の論議が出来るのかも知れないし、各グループ間での討議の内容もなかなか、興味深いものがあった。オランダでの教育現場の視察に関する個別習熟度モニタリング・システムなど(分かっていない箇所を分析できるシステム)や個別教育によるサポート・システム、或いは、これから必要とされる本当の学力とは何であるのか、などに関する基調報告をベースにして、教育の質を高める為に、世田谷区では、どんなサポートが可能なのであろうか?そして、教育現場とは別に、どのような教育センターの機能・人・環境が、必要なのかを、主たる討議課題として考え、これを区政の教育現場に、反映させようとするものだそうである。そもそも、個人的には、実の弟が静岡で、教員として務めていた縁や従兄弟の何人かが教員であるという以外に、直接的には、教育現場に、関わることもなかったし、子供達も成人してしまってからは、教育現場とも縁は無かったが、たまたま、小諸の審議会の中で、教育水準の低下と人財の流出という課題に、直面した現実から、地域での教育支援の在り方に、興味を覚えた次第である。この問題は、今日、一地方自治体である世田谷区だけの課題ではなく、まさに、全国的な規模での日本としての普遍的な課題でもあろう。その意味でオランダという6割にも達する移民人口を歴史的に有する多文化共生都市・国家は、フランスとは又別の教育の在り方で、存在感を高めているのかも知れない。明治以降のイギリス式教育と鎖国時代のオランダを通じた文化・国際情報の入手という日本の仕組みとは異なり、今日でもなかなか、興味深い対比かも知れません。

 

世田谷区によるオランダ視察による6項目のまとめとして、

1.国際教育の推進(諸外国の学校との交流活動の推進に関する研究・検討)

2.ICTを活用した教育環境及び教育内容の充実(ICT環境整備、児童・生徒の活用能力の向上)

3.新教育センターの整備に向けた検討(教員の指導力向上)

4.児童・生徒の自主性・主体性育む教育の推進

5.家庭教育の充実(家庭教育の在り方)

6.特別支援教育の充実(児童・生徒の教育的ニーズに応える指導・支援の在り方の検討)

 

まずは、学校組織そのものの明治期以降の歴史的な成り立ちにも、残念乍ら、日本という国は、戦前、戦後にも、ある一定の国の枠組みというものが、大きく、のし掛かっているように思えてなりません。例えば、このフォーラムで、改めて、私が、驚いたことは、教育という世界が、極めて専門性の高い一種の「聖域」のような感じ、それは、良い意味でもあり、又、悪い意味からでも、別の言葉で言えば、「地域社会に開かれていない領域」のようなものです。例えば、教員にしても、議論の中で、「労働力の流動化」ではありませんが、教員のFA化・オープン化などは、資格の観点からも、絶対に、あり得ないものの、実際には、現実的に、実施されている非正規労働者のような臨時職員という名の教員の在り方など、問題は、多くあります。逆説に云えば、良い人財をリクルートしようとすれば、それは、一体、どのような待遇とどのような環境の下で、どのような仕組み作りが必要になるのでしょうか?

これは、既に、今回の参加で、うすうす気付いていたところの、教育とは、只単に、今日、もはや、教育分野の単なる問題ではなくて、「福祉」・「教育相談」・「保育・子育て」・「空きや対策」・「労働政策」・「格差」・「貧困」などの様々な問題とも「複合的にリンク」していることが浮き彫りにされました。もはや、「学校」という領域は、教育が、学校単独のものでは成立し得ず、それが、中核的に位置して、その廻りに、みんながぶら下がる式のものではなくて、むしろ、多様な、多重な、多層な、「生徒の家庭」・「地域社会」・「外部専門家」などのグループとの双方向的な相互・相乗的な支援組織を、教員や学校を取り巻く中で、構築していかないと、隠れ発達障害の児童の問題や幼児問題も含めて、或いは、モンスター・ペアレンツの問題に対処するにしても、不可欠になるのかも知れません。教員のパワー・アップも質の向上も、専門性の推進も、今や、個別教師という単独の問題では、到底、解決は不可能でしょう。地域社会とのアウト・ソーシングも含めて、官民・地域社会と一体となった市民参加の運動体に、拡がらなければ、確かに、情報の発信ですら、或いは、既存の様々な方策が何らかの形で実現されているものの、残念乍ら、うまく相互・複合的に機能していない仕組みも、実際にあるようです。残念ながら、ICT活用と言っても、どんなに、学校で、一人一台のPCやiPadタブレットが、提供されなくても、実際には、家庭や現実社会での方が、圧倒的に、先行していて、常に、学校というところは、「後付け・後追い」になってしまうのが現実なのではないでしょうか?自分の個人的な経験から云っても、学校で、習ったことなどは、団塊の世代は、IT関係者以外にいないでしょうし、自分も、たまたま海外の貿易関係に関わっていて、英語を通じて、メールやPC操作を独学で覚えて、実践即学習という毎日でした。これが、現実ではないでしょうか?何も、決して、ICTを否定するものではありませんが、むしろ、ハード中心の学校では無くて、専門家のアウト・ソーシングも含めて、民間との分業・協働でもしない限り、今日のすぐに陳腐化するソフトの修得は、難しいのではないでしょうか?いずれにせよ、国際交流や多様な国際共生の意識というものは、一朝一夕に成し遂げられることは難しく、余程、中学や高校くらいからでも、ギャップ・イヤーの制度を設けてでも行わないと、尤も、それも、こうした制度を理解する社会の共通な理解という社会基盤がない限り、これも、機能不全に、陥るのかも知れませんが、いずれにせよ、本当に、制度が機能不全に陥っている本当の理由とは、一体全体、何なのか?様々な仕組みは、既に、制度化されていると云われています。しかしながら、何故、それらが、相互に、有機的に、機能しないのでしょうか?評価・検証・査定で、余りに、多忙過ぎる、或いは、更なる管理作業や仕事に、毎日追いかけられるという悪循環の繰り返し、出来すぎる子供までもが、やる気を無くすような社会であってはならないし、特別支援学級の人員不足も、甚だしいと云われています。教育に対する情熱を有する熱血教師の育成ではなくて、或いは、個人スキルの向上のためにでは無く、(教員による学級担任の複数制ワーク・シェアリングなど)、児童・生徒が幸福と感じられるような学校現場を支えられる支援期間としての独自な教育制度を、何とか、創設するために、地域・市民住民と共に、考えていきたいものです。

こういうことは、地方都市でも同じように、個別課題と関連づけして、論じられるべきであると思いました。