小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

フリー・ジャーナリストという危ういツール:

フリー・ジャーナリストという危ういツール

「蛮行」、「卑劣」等という文字が、踊れば踊るほど、日本人の有する思考は、どこか、危機意識が呆けてしまっているのであろうか?映画、「アルジェの闘い」ではないが、弱者が、圧倒的な強者と戦う術は、何でもありと謂うことは、歴史が物語ってもいるであろうが、唯一、異なる点と謂えば、「ジハード」と言う「絶対不可侵な」言葉で、如何にも、矮小な行為を、十把一絡げに、覆い隠してしまっていることであろうか?そこには、残念乍ら、イスラムの大義も、哲学のかけらも、見いだせないのが、残念である。それは、同じように、中東の難民人道支援に拠出される資金が、あたかも、軍事転用されてしまったかのごとく、相手の目に、写ってしまっていることと鏡の表裏と同じなのかも知れない。それにしても、古くは、フィリピンでの三井物産支店長の誘拐事件から、ペルーの日本大使館人質事件とか、或いは、ジャーナリスト、NPO,現地プロジェクト関係者などのテロによる犠牲を考えた時、どれ程のこちら側の体制の進歩と充実がなされてきたのであろうか?所詮、大企業のマスコミのデスクで、その手先として、使い捨てられるであろうフリー・ジャーナリストや戦場カメラマンに、その海外情報収集は、頼り切っていると言わざるを得ないのであろうか?トマス・エドワード・ローレンスではないが、中東に於ける情報将校という、今で謂うところの駐在武官などの情報収集活動というものは、日本は、どの程度の世界的レベルなのであろうか?報道する側も、大手・下請けというようなお寒い情報収集体制の下、どれ程までの的確なインテリジェンス情報収集と予測と現状分析が、なされているのであろうか?又ぞろ、縦割りの外務省・海外駐在武官・商社網・マスメディア等の各分野を横断的に跨いだ統合的な連携と知恵と知識を結集できるような組織と、現地活動支援が、望まれようが、、、、、、、。考えてみれば、行方不明になった時点から、こういう日が、来るであろう事は、容易に、想像は出来たであろうし、既に、秘密裏に、対応はしていたのであろうあが、、、、、、、、国境を跨いだ砂漠の混乱する戦火の中で、それでは、一体、誰が、どのように具体的に、どれ程、やれるのか?モサドにでも、アドバイスを仰いでみた方が早いのであろうか?軍事衛星を打ち上げれば、それで済むという代物ではない現地の地上の情報は、所詮、命を的にしたリスク覚悟の使い捨ての駒のような大手下請けフリー・ジャーナリストにしか、今日、依存せざるを得ないのであろうか?ジブチの海外拠点も、今後、どのように、こうした観点から、位置づけられるのであろうか?9.11も、パリ銃撃戦も、所詮、他人事であると思っていたところが、どっこい、そうではないことに、改めて、気付かされる。