小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

労働時間規制解除と解雇緩和:

労働時間規制解除と解雇緩和:

一連の岩盤規制改革の中でも、真っ先に、ターゲットにされているのが、所謂、労働規制と謂われている、労働生産性を先進国並の国際競争力に、向上させるためという大義名分なのであるが、実際には、世論や労働界の反応を見ながら、なかなか、狡猾に、しかも、まるで、大阪城の外堀を埋めてゆくように、着実に、政府・経済界・経営者側の攻勢は、巧妙なシナリオである。まずは、倒産寸前の会社に多い解雇権の自由化が、難しいとなると、派遣労働者法の改正やら、裁量労働時間の規制緩和や、僅か3%程度にしか、相当しないであろうと思われる年収1075万円以上の特殊な職種の専門職労働者(?)を対象にした労働時間の緩和策、むろん、遊休休暇制度や、働き過ぎを防止する対策を含んでいるものの、それでも、一般の残業代支払いゼロという悪魔の手のような誘惑は、否定しきれないし、恐らく、ただ働きという蟹工船時代の恐怖は、それでも、払拭されることはないであろう。個人的な経験から謂わせて貰えば、自分は、正規雇用社員から、敢えて、業務委託方式という謂わば、フリーランスでの労働契約に、移行したいと大きな組織の中で、訴えたが、当時は、未だ、同一資本系の子会社やベンチャーなどが、今日ほど、認知されていなかったから、むしろ、高齢者の定年・雇用対策的な程度にしか、位置づけられていなかったから、労働組合員としての確固たる地位とも、抵触することから、結果的に、早期退職・選択定年制を選んで、早期退職し、フリーランスで、個人会社を基礎にして、独立するしかなかった。しかも、充分な資本がなかったから、結局、海外に活路を見いだすしか手はなかったのが事実である。考えてみれば、正規であれ、非正規であれ、ある程度の職歴の中で、ある種のノウ・ハウと、独立・創業してみようとする幾分かの野心とある種の思い切りがあれば、そのリスクを考えてみれば、若い時には、それ程の冒険ではないことが、今にして、思えば、そう思われる。むろん、もう、約30年前の話であるが、それでも、その後の経済状況を見てみれば、いくら、ベストな条件が整うのを待っていても、そんな条件が整うという保証は全くないことは、明らかであろう。だからといって、すべての労働者に対して、みんな、フリーランスで、独立してみたら如何かというわけではないが、今日の状況を眺めるにつけても、あまりに、労働側の守勢が、免れないであろう。ましてや、個々の分断されてしまった非正規労働者も、裁量労働時間規制緩和の後には、間違いなく、解雇権の規制緩和が、待ち受けていることは、間違いないであろう。労働者の権利擁護は、云うまでもないことであるが、小さい頃の国鉄による自動改札機械導入反対闘争や、郵便局の〒番号自動仕分け機会の導入反対闘争を想い起こしても、一体、労働組合というものは、これまで、どれ程、真剣に、労働生産性の向上と労働者の幸福と働きやすい環境を作るために、戦ってきたのであろうか?私には、何故、今日、こうした声が、働く者の中から、草の根のように、盛り上がってこないのか?或いは、野党にしても、そういう声を大衆運動として、纏め上げるリーダーシップがないのであろうかと、実に、不思議な感覚で、受け止めざるを得ない。官製春闘ではないが、賃上げも、今や、勝ち取るモノではなくて、政労協議会で、上から、トップダウンで、決められるものなのであろうか?何とも、一連の流れは、心寒くなる思いがするのは、私一人だけであろうか?確実に、働く環境は、曲がり角に差し掛かっているような気がするが、働く側はどれ程、そのことを自覚しているのであろうか?