小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

サントリー美術館、「仁阿弥道八」展を覗く:

サントリー美術館、「仁阿弥道八」展を覗く:

古田織部展に続き、一寸、陶器の展覧会が、続く、別に、陶器の製作が趣味でもなければ、特に、お茶を嗜むわけではない、ただ、何となく、耳濯ぐではないが、耳の代わりに、たまには、味わいのある旧い陶器を目で楽しみたいと思って、たまたま、展示会が、続いたまでに過ぎないものである。それにしても、茶釜の蓋ではないが、なかなか、趣向が凝っていて、面白いものである。「高橋道八」のとりわけ、第三代が、特に有名で、「仁阿弥道八」(にんなみ どうはち)と呼ばれるようになったらしいが、江戸時代から明治期に掛けての京の焼き物でも、独自の創作とは別に、所謂、流行の或いは、お気に入りのコピーものも、極めて、技量の高い焼き物を残していると、今風に謂えば、OEMも手掛けていたのであろうか?それにしても、茶碗、水指、文鉢、文皿、煎茶道具としての急須、酒を飲むだけでなくて、お茶も楽しんだ猪口、そう言えば、中国でお土産に買ってきた茶器のセットも、(今では、飾り棚で眠っているが)確かに、小さな猪口が、セットに入っていた事を想い起こす。久しぶりに、茶器で、美味しいお茶を飲んでみることにでもしてみようか?或いは、一寸大きめの好みの茶碗で、抹茶でも点てて飲んでみることにしようか?本当は、毎日、習慣づけたいところである。草花や景色の絵柄も宜しいし、漢詩がぎっしりと小さな文字で描かれた茶碗や猪口も、興味深いものがある。ドイツワインを連想するかの如き徳利も、面白いし、狸などの彫塑作品、猿や猫の置物、山羊他の手焙り、炉蓋、香炉、生活の中で、やはり、今日、忙しすぎてしまうのだろうか?それとも、そんなことに、気を遣わない現代人の方が、どこか、おかしいのか?やはり、人は、様々な器や焼き物との付き合いの中で、美意識を再確認する作業が、子供の頃から、箸置きひとつをとっても、振出のような薬味入れでも、香合でも、何でも、食器や花器、茶碗も、皆、ある種の生活の中に美意識を確認すると謂うことが、食文化も、広く、文化というもの、引いては、歴史や意識・所作振る舞いという形で、継承されてゆくのかも知れないと謂うことが、様々な陶器を眺めながら、感じる。コンピューター画面ばかり見つめている疲れた目を、たまには、濯ぐことも必要なのかも知れない。余りにも、現代ビジネス社会では、日常、そんな暇もないのかも知れない。だからこそ、たまには、暇を見つけて、やってみたら宜しいのではないだろうか?ミッドタウンの窓の向こう側には、スケート・リンクが遠望され、まるで、冬のNYを想い起こすような景色でもあった。3月1日まで、六本木ミッドタウンのサントリー美術館で開催中です。次回は、若冲と蕪村の絵画かな、、、、、、。