小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

マクドナルド、異物混入に思う:

マクドナルド、異物混入に思う:

現役の頃、まさに、海外生産で、嫌と云うほど、異物混入対策に振り回された経験があるから、この種の問題が出る度に、さぞや担当者は、夜も寝られないであろうかと、つい、同情してしまう。誠に、草葉の陰から、あの藤田田が、泣いていることであろう。もう、40年余りも昔の話であるが、当時、アメリカの自動車工場のワーカーが、冷やかし半分に、飲み干したコカ・コーラの缶を、ドアを取り付ける工程で、何でも内側に、差し込んだらしい。そうしたら、ドアを閉める度毎に、カランという音がするというので、クレームになり、ドアを解体して、調査したところ、中から、缶が見つかったらしい。この話には、落ちがあって、その缶には、ご丁寧にも、「良く見つけましたね!」と手書きのメッセージがあったそうである。これを、アメ車と日本車の品質管理の違いの逸話的ブラック・ジョークとして、面白おかしく、流布されていたことを想い起こすが、今や、リコールも、異物混入も、全く、消費者側も、どこか、可笑しな構図になってきてしまったのは、残念な限りである。ドアに缶を入れることが、宜しくないことは分かりきったことであるが、それでも、この種のアメリカン・ジョークは、まだ、その頃の時代には、多分に、許される(?)範囲のことであったのであろうか?それに引き替え、昨今の事例は、もはや、ある種の「ヒステリックな」様相を呈し始めているように思えてならない。現役の頃は、異物混入率を、限りなく、ゼロに近づける努力をすること自体が、目標であり、誰しもが、暗黙の了解でありながらも、それが、達成不可能であると分かっていても、まるで、素数の解明をするごとく、0.000000000,,,,,,,,と限りなく、無限に努力するという精神的な邁進力を試され、或いは、納入業者としての消費者様・お客様(?)(今や、絶対的な神と化した消費者)に対して、忠誠心を、これでもか、これでもかと、無駄な(?)(公式にそんなことを云ったら、途端に、取引停止になってしまうが、)エネルギーを費やす結果になってきてしまった。私は、どういう訳か、家族で、ファミレスで、同じメニューを4つオーダーしても、現役の頃には、髪の毛が混入している皿は、私のところに廻ってくると云う巡り合わせになっていたものである。ある時は、冗談で、一度、配膳された皿を、わざわざ、取り替えてみたところ、その取り替えた皿に、毛髪混入が発見されるというしたたかな前科者であるので、これも何かの因果応報なのかと思ってもみたくらいである。従って、テレビのインタビューに出ている消費者のコメントなどは、もはや、自分で、云っていることが、フード・エネルギー換算にしたら、膨大な無駄になっていること、又、加工賃金のどれ程の安い工賃が、これらの異物混入防止対策に、費やされているのか、承知しているのであろうかという、謂わば、「諸刃の刃」であることを忘れ去っていることの方が、空恐ろしい。ポテトにしても、ナゲットにしても、況んや、250円の牛丼をやであろうか?。ヒステリックな消費者が、のたまえば、のたまうほど、同時に、その反面でもある労働者の顔に、重く、別のストレスが、加重されてくることをこのヒステリックに泣き叫ぶ消費者は、分かっているのであろうか?それにしても、日本マクドナルドの外人社長は、もはや、会見にも顔を出さないところをみると、この一点でも、日本では、袋だたきにあいそうで同情してしまう。広報の対応も、一定のガイドラインに、適合していたとか、していなかったか、果ては、「意図的に隠蔽した」という疑惑まで浮上してくるのでは、何をや謂わんやではなかろうか?何か、日本人というものは、「神経質な鶏」ではないが、重箱の隅を徹底してつつかないと、食の安心・安全は、担保されないという議論に、何故、なってしまうのであろうか?異物混入があっても良いとは言わぬが、ヒステリックに叫ぶ消費者も、問い詰めるマスコミの記者も、生産現場で、どれ程の苦労と厳格な品質管理がなされているのかを、分かっているのであろうか?マクドナルドは、一日生産現場体験会でも、消費者や記者に、開催してみた方が、ずっと、効果的ではなかろうか?その昔、異物混入率を数値化して、議論していたら、「クレームというものは、そのお客様にとって、100%クレームであって、割合や率の問題ではない!」と一刀両断に謂われたことがありましたが、それだけの必要不可欠なコストをみて戴ければよいのですが、、、、、、そこは、「それをやるのが、貴社の仕事であり、役割でしょう!」と応えられてしまいました。懐かしい昔話ですが、現役の人は、大変なことに変わりありませんネ。否、むしろ、もっと、シビアーに、バージョン・アップされてきてしまったのかも知れません。お悔やみと同情の念を禁じ得ません。日本人の何か、民族性を垣間見えるような気がしてなりません。今時、工場で、透明のビニール・シートなど使用している工場はありませんね。それにしても、昭和恐慌前夜かの如き、ヒステリックなやり場のない得体の知れない怒りを大企業や大財閥に刃を向けた狂気のようなテロリズムのような眼に見えない嫌な感じがするこの消費者という得体の知れない大衆の不満は、何処へ向かうのでしょうか?韓国の大財閥の二世三世に対する不満を横目で笑っては居られないようですが、それは、考えすぎなのでしょうか?私には、実に嫌な感じがしてなりません。昔は、古新聞紙で、生魚を包んで、売っていたではないか?そう言うと、袋だたきにあいそうですが、敢えて、言わせて下さい。マックを擁護するつもりはありませんが、どこかで、何かが狂ってはいないだろうか?ふと立ち止まって、考えてみてはどうだろうか?どうして、日本人は、いつも、チンチンと、沸騰したヤカンのように、一億一丸となって、沸騰してしまうのでしょうか?