小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

菅原文太までもが、、、、、、、:

菅原文太までもが、、、、、、、:

どうやら、投稿が、うまく反映されていなかったようでしたので、一寸、遅れて、投稿することにします。高倉健が、昭和初期の任侠の「静」の裏美学とすれば、菅原のそれは、戦後混乱期の現代暴力団のという「動」の表の実録版とでも云えるものだったのかも知れません。2人とも、若い頃には、顔立ちが端正で、ニューフェースやモデルであったことは、誠に、その後の俳優人生を思うと皮肉であるが、人生とは、所詮、そんな皮肉なものなのかも知れません。住まいも、隣に、小学生の同級生が住んでいたこともあって、同じ町の住人としての親近感はあったものの、映画の方は、残念乍ら、既に、こちらは、社会に出てしまっていたので、健さんの頃の映画と違って、映画館で観たという記憶がありません。こちらは、せいぜいが、TVでの放映くらいである。従って、どうも、記憶の中に、インパクトがないのが、残念であります。役者としては、インテリなのに、その風貌からか、やたらと、広島弁が印象に残ります。もっとも、それは、身近な友人が、広島出身者だったからか、広島弁に親しみを感じていたものだったのかも知れません。後年、故郷の仙台が震災で被害を出したことから、原発問題や、農業、とりわけ自然農法、或いは、政治・平和へのこだわりから、沖縄基地問題反戦政治活動へも積極的な関わりを持ったのも、現役の頃の暴力団、山口組との付き合いで問題を起こしたことと相殺されても宜しいのではないだろうか、裏世界の実録ものは、今日、全く、影を潜めてしまったものでありますが、今や、映画界も、そんなドロドロした粘っこい情念の塊のようなものは、影をすっかり、潜めてしまったものであります。そして、俳優も、様変わりしてしまったような気がするのは、私一人だけでありましょうか?おおいに、残念であります。遺作になってしまった「ブラック・レイン」で現代ヤクザを好演した松田優作も、刑事役だった高倉健も、考えてみれば、戦後混乱期の暴力団を演じた菅原の演じたやくざ達も、その後、演じられることも無くなったようであります。せいぜいが、北野たけしによる「アウトレイジ」くらいでしょうか?そういう俳優が又一人銀幕の中へと消え去ってゆくことは、淋しい限りであります。今の醤油顔の端整な顔立ちの若い役者に、是非、挑戦して貰いたいところであります。観る側の観客も同様に、そんなドロドロした剥き出しの暴力や人殺しは、受けなくなりつつあるのでしょうか?