小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

歴史認識形成というものを考える:

歴史認識形成というものを考える:

私の海外の友人達、とりわけ、アジア圏の人達は、概して、仕事を通じてのためだろうか、概して、対日感情が、好意的である。それは、韓国でもそうであったし、中国でも、ましてや、ベトナム、タイ、ミャンマー、台湾、インドネシア、印度などでも、である。もっとも、それは、仕事で、恩恵を被っているのであるから、当然、対日感情も宜しいと云うことであるのかもしれないのであるが、、、、、、、という括弧付きではある。それを差し引いても、何故、どのようにして、歴史認識なる言葉が、作為的に、創り出されてきたのであろうか?観光というものは、面白いもので、現地の人々の日常生活や文化を、ある程度、垣間見られるという文化的な理解の導入部であることに変わりはない。その延長戦上には、広い意味での「草の根の民間交流」や、もっと、広い意味では、「民間外交」とも呼べるような極めて、重要なソフト・パワーが、含まれているような気がしてならない。食べるもの、着るもの、道具でも、踊りでも、音楽でも、住まいでも、何もかもが、その民俗・民族を理解する糧になるのかも知れない。それが引いては、歴史を学び、その民族の所作・振る舞いにも、おおいに、影響を及ぼしていることが容易に理解されよう、朝食の食事の時の本土からきた中国人達も、我先に、大量に並んでいる食べ物を取ったり、割り込みをしたり、それでも、お先きにどうぞと、悠然と譲ってやると、気恥ずかしそうに、自分の非礼をわびる素振りを垣間見せるのは、興味深いものである。事ほど左様に、海外旅行とは、その民族の習性や行動様式があからさまにみられて、大変面白いと同時に、そこには、ある種、鏡のように、自分の姿を映し出させる作用も有するようである。それは、歴史認識でも同じであって、どんなに、自国内で、すり込まれたとしても、まるで、幕末の攘夷の獅子たちが、アメリカやイギリスに行ってはじめて、その排外主義的な考え方を改めたのと同じである。どんどん、海外の若い人達に、フルブライト留学制度ではないが、海外留学でも海外修学旅行でも何でも良いから、日本へ来て貰えれば、或いは、こちらからも出掛けていってしまえば、歴史認識の相違などと云うものは、いとも簡単に、氷結してしまうかも知れない。台湾やベトナム歴史認識と随分と、韓国や中国のそれは、おおいに異なるのも事実ではあろうが、私には、旧い海外の友人達に対しても、歴史認識の議論も、おおいにすべきであると考えているし、未来志向、もう、既に、我々の大ではなくて、次世代、次々世代へと待ったなしに進んで行っているのも確かではあろう。そういことが、無用な民族排外主義や、ヘイト・スピーチに、唯一、対抗しうる術ではないかと確信している。この駆け足の旅行から、改めて、学べました。