小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

喪中葉書に想う:

喪中葉書に想う:

11月末頃から、今年も又、喪中葉書が舞い込むようになってきた。今年は、少しく、事情が異なってきたようである。これまでは、両親が亡くなったりしていたものが、親に代わって、自分の兄弟等に、変わってきた。更には、子供や、連れ合いを喪うというものもある。年賀状などの孫の写真や、甥や姪っ子の子供達や赤ん坊の写真ならば、晴れがましく、賑やかではあるが、何とも、喪中葉書は、心が、心底、寂しくなるものである。今年も又、同い年の自分の海外での後任者だった者もが、食道癌の手術後、突然、癌が他に、転移して、異国の地で急逝してしまった。会社の元の上司が、「段々、歳とともに、同僚、友人達が、欠けてゆくのは寂しい限りである。」と云っていたが、ところてん式に、時は、一秒一秒と、知らぬ間に、しかし、着実に、死に向かって、押し出されながら、歩んでいることだけは、確かである。既に、80才を過ぎた頃から、年賀状も、失礼する旨の書状を事前に戴くこともあるが、喪中葉書を戴く頃が過ぎると、いよいよ、年末、そして、新しい年を迎えることになる訳である。それぞれの一年が、どんな人生で、そして、又、来年は、どんな事が待ち受けているのであろうか?床に入って、目をつぶる度に、明日という日が来るのか、それとも、このまま、目を閉じたままで、終わってしまうのか、闇の中で、ふと、考えてしまう今日この頃である。後、何通の喪中葉書が、今年は、来ることになるのであろうか?と、、、、、、。喪中葉書を見るたびに、エンディング・ノートや終活も、考えておかなければとは、思うものである。