小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

大義なき選挙という考え方:

大義なき選挙という考え方:

一体全体、政治家も、マスコミも、本当にそう思っているのであろうか?所詮、歴史などと云うものは、大義を有する者が、勝った試しなど無いでは無いか!?そんなものは、勝てば官軍で、初めから、勝てる戦が出来る状況の時には、きちんと、相手もそれなりに準備周到に、考えて戦をするものであろう。つまりは、負けない戦、あわよくば、大勝利になるかも知れないそんな闘いではないだろうか?今更、大義などを声高に唱える者ほど、そんなことは、全く、政治の何たるかを知らない素人が云うものであって、メディアなどは、常に、勝ち馬に結局は、最期には、すり寄っていくものであることを忘れてはならない。それにしても、アベノミクスの失敗とか、あげつらうのは構わないが、それでは、これまで、どれ程のアンチ・テーゼを国民に提示し、且つ、どれ程までに、実行できたのであろうかと云ってしまえば、どのように応えるのであろうか?デフレ脱却でも、実質賃金の獲得でも、常に、官製春闘ではないが、官民挙げての出来レースの中で、そんなに、簡単に、ハイそうですかと、企業経営者が、利益の賃金への配分をしてくれるとでも、本当に考えているのであろうか?もし、そんな幻想を抱いているとしたら、野党も、労働組合も、お目出度い者で、困ったものである。それにしても、今日、攻める方に、こうした「したたかさ」に、欠けると言わざるを得ない感慨を抱くのは、如何なものであろうか?如何にも後手後手に廻る守りの選挙から、如何にして、攻めの選挙に、転じられるかが、鍵であるが、どんなものになるのであろうか?国内だけでなく、外交でも、こうした「したたかさ」が、欲しいものである。