小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ビッグ・データの不気味さ:

ビッグ・データの不気味さ:

今日、もはや、メール・アドレスが、何らかの形で、漏洩していたり、個人情報が知らぬ間に、名簿業者に売られていたりと、どうみても、ダイレクト・メールなどをみていると、そう思わざるを得ないことが、数々あるのが現実であろう。況んや、ネット通販のデータをやである。あるA社の通信販売の検索を利用したところ、すかさず、B社のサイトから、何処から、どのように、その商品検索の結果を知られたのかは分からぬが、同じ商品をお薦めするメールが舞い込み、更に、B社の宣伝が出ているサイトで、私がA社で検索したものと同じ商品を薦めるべく、その商品の写真が掲載されていた。いやはや、今日、通販サイトでは、流石に、書籍の取り寄せなどをしようものなら、数日後には、こちらの書籍をご購入されたお客様は、次のような書籍も、ご購入されていますというようなお薦めのメールが、来状するものである。兎に角、バックグランドで、あらゆるデータが、購入者の購買履歴、購入傾向と嗜好傾向を、即座に、分析して、コンピューターは、これでもか、これでもかと、次の商品を購入するまで、慇懃無礼に、「お薦め」してくるのである。私は、ビッグ・データやオープン・データの活用とある種の販売を否定する立場に与するものではないが、流石に、ここまで、くると、やや、「不気味な何か」を詮索せざるを得ない。もうこうなると、ニーズの分析とか、シーズの分析などではなくて、そんなものは、何か、後付けのようなもので、購買動機付けとか云うものではもはやなくて、むしろ、購買意欲の「誘導的な」データの解析・活用とでも云えようか?一体、この延長線上で、人工頭脳などの活用が、現実味を帯びてくると、人間の有する主体性などと云うものは、商品購入の段階では、全く、当てにならぬものになるかも知れない。あまのじゃくの私には、薦められれば薦められるほどに、逆に、意固地となり、購入はしないぞという強い意思の確認がなされようとしているのも、実に、皮肉である。一体、何処へ向かって行くのであろうか?行き過ぎたオープン・データの活用に、消費者は、どのように、独自性と主体性を示せるのであろうか?ふと、そんな思いがしたのは、私一人だけであろうかと、、、、、、、、。近未来では、恐らく、冷蔵庫には、次の商品が間もなく、賞味期限が切れるので、お買い上げ下さい式のメールが、又、既に、買い替え時期を過ぎているし、お使いのモデルは旧いので、新しいものに、買い替えて下さい式のメールが届く時代も、そして、そろそろ、結婚しても宜しいのではないでしょうかとブライダル・サロンや、果ては、お墓や墓地の斡旋も届く時代が来るかも知れませんね!