小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

戦闘に参加する若者の気持ち:

戦闘に参加する若者の気持ち:

既に、日本人でもイスラム国への戦闘参加への渡航準備だけではなくて、実際に、戦闘に参加し、負傷した26才になる若者がいると報じられている。それにしても、宗教的な、或いは、イデオロギー上の思想信条を理解することなく、只単に、日常性や退屈な現状を打破しようとするだけの為に、命を落としかねない、或いは、人を殺しかねないそういう行為に参加を決断するその動機や背景が、今ひとつ、理解しかねる。確かに、昔は、赤軍派によるパレスチナ支援とか、岡本公三らによるロッド空港射撃事件とか、ある種の政治イデオロギーに基づく、少なくとも、自己確信犯的な動機が、明確にされていたような気がするが、今日、何か、「傭兵」のような、もっとも、傭兵というものは、プロのしっかりとしたカネ稼ぎが目的だから、動機もハッキリしているのであるが、今回の実際に戦闘に参加した若者や、未然に、摘発された者の発言では、どうにも、動機・思想信条がハッキリしていないことに対して、何気なしに、不気味なものを感じざるを得ない。まるで、仮想世界のゲームの中で、戦う戦士達の世界に、自分を投影した挙げ句の果てに、現実世界の戦闘行為の中に、身を置きたいと考えてしまったのであろうか?血の臭いや死臭漂う現実の世界と仮想空間上の世界は、ゾンビを倒すのとは、訳が違う。剣の世界を極めれば極めるほどに、死を見つめ直し、そこから、生をも見つめ直すと云われているが、この若者達は、一言、「死ぬことを何とも思わない」と平然とインタビューに答えているが、自分が、殺される覚悟は、一歩譲って、ある意味、大したものであるとすれば、それでは、人を殺す覚悟は、鏡の裏表で、どのような覚悟を持っていたのであろうか?昨今の性的な猟奇的な殺人事件にも、困ったものであるが、こういう若者と言っても、既に、26才になる訳だから、もはや、10代の若気の至りであるとも、思えないが、、、、、、。いくらネット宣伝の時代とは云え、そんなに、容易く、日常生活の中から、思想信条に基づかない、非日常へジャンプが、可能なのであろうか?逆説的に考えれば、今日、そんな難しいことは考えないで、直感的に、思想信条もなく、非日常性の中に、まるで、容易く、仮想世界のヒーローに、なってしまうということが、一般化・現実化しているのであろうか?もし、そうであれば、恐ろしい世界に、なりつつあることに、驚いてしまう。恐らく、現実は、これらは、氷山の一角なのであろう。それにしても、秋葉原事件ではないが、自殺志望者が、或いは、自分で死にきれない若者が、こんな形で、又、新手のブラック・ホールに吸い寄せられるように、事件を起こすような社会は、どうなってしまうのであろうか?全く、考えさせられてしまう。