小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

国会論戦にみる:

国会論戦にみる:

論戦というものは、所詮、同じ土俵の上に立ってこそ、実のある論議が行われるものであって、それが、まるで、かつての異種格闘技戦のように、同じルールの上に立たずに、戦わされたときのあの騙されてしまったような感覚を彷彿とさせる。同じ数字でも、常に、それは、表と裏、自分に都合の良い数字と悪い数字という側面があるわけで、それを互いに、例えば、実質賃金名目賃金、或いは、役員や公務員給与が反映されたものかどうかを議論しても、なかなか、その同じ土俵の中には、入ってこないものである。もっとも、攻める側にしても、考えてみれば、それでは、てめぇが、政権を握っていた間には、デフレの克服も、実質賃金の上昇を実現できたかどうかを問われると、やや、怪しげなことになってしまう。アベノミクスの光と影は、以前から、云われていた話であるが、劇薬でも飲まない限り、坂道を転がり落ちてゆく日本経済の傾向を打破する途はないであろうという選択だったのかも知れない。もっとも、その成果は、それ程、短期的に、判断されるモノではなくて、もう、少々、時間を見なければならないのも、又、事実であろうかも知れない。どうも、攻める側には、少なくとも、過去の政権時に描いた政策の真摯な反省と詳細な分析と、これに伴う将来への政権復帰への青写真を国民に、単に、攻めるだけではなくて、具体的に、安全保障・集団的自衛権でも、急激な円安でも、実質賃金の上昇施策でも、アベノミクスに対峙できうる方向性を、提示し得ない限り、なかなか、論戦自身も空しいものになり、結局は、コップの中の嵐にしか、過ぎないような状況を招来してしまうのではないかと、年寄りは危惧してしまう。慰安婦問題に関する海外への情報発信にしても、イスラム国への攻撃の協力要請の可能性にしても、香港の民主選挙のデモにしても、どうも、攻める側からも、守る側からも、一向に、どう考えているのか、本音が聞こえてこない。円高の時にも、内需の拡大には、失敗して、結局は、輸出頼みとなり、今度は、急激な円安の時には、輸出が思うように、振るわず、逆に、原材料費の高騰に伴う競争力の低下を招いていると、、、、、、一体、全体、どちらにぶれても、八方ふさがりなのであろうか?それにしても、地方創生も、年金改革も、定数是正も、肝心の成長戦略も、最近では、影が薄くなってしまい、掛け声倒れにならないように、年寄りは、記憶に止めて、忘れないようにしたいものである。そんなこんなの間に、消費税の再値上げの時期は、刻々と迫ってきているのは事実である。民主6人衆の復権も結構だが、日本再生・復権の方は、如何であろうか?そんなグランド・デザインが、なかなか、見えてこないと感じるのは、私1人だけであろうか?