小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

生死を分けたものとは何なのか?:

生死を分けたものとは何なのか?:

私の亡くなった父は、中国から南方戦線へ従軍中に、ラバウルで、痔を患って、手術を受けたために、ガダルカナルへ転戦されずに、そのまま、インドネシア戦線に残留することになり、終戦を迎えて、戦後、復員して、私が、結婚後、生を受けることになったと語っていた。一体、人間の生死を分けるものは、何なのであろうか?ここのところ、度重なる災害で、とりわけ、普段、想像すら出来なかったような突然の災害に際して、何が、一体、生死を分けたのであろうか?無論、夜中にでも爆発していれば、こんなに被害は、大きくなかったのかも知れないが、、、、、、。たまたま、健脚で、お昼前には、山頂で、お弁当を食べる予定で、登山していたのであろうか?それとも、それ程、健脚でなかったから、ゆっくりと、遅れていたから、頂上に、至らず、その手前で、爆発に遭遇したのか?動画を投稿していた人達のコメントを聴いても、何とも、理解出来ない。とりわけ、噴火直前に美しい火口付近の池の写真をツィッターで投稿した方は、どうやら、亡くなられたらしいことが、報道されている。それにしても、噴石による後ろからの外傷性の損傷死やら、想像以上に、その現場に遭遇した時間と場所が、何処に居たかによって、生死を大きく分けたのであろうか?徐々に、生存者の生の証言や、捜索の状況が明らかになるにつれて、我々は、一体、どのように、考えたら良いのであろうか?予期せぬ災害も事故も、かつて、何処かで聞いたことのある、あの「想定外」という言葉を、改めて、想い起こす。一緒にいた家族や友人や子供を亡くした被害者の心中を考えると、複雑な思いがしてくる。それにしても、どのくらいの人達が、遭難死に至り、何人が、奇跡的に生還したのであろうか?まだ、行方不明の人達が何人いることであろうか?全貌がつかめるには、まだ、時間が掛かりそうである。学者が言うところの「噴火予知のレベルは、まだ、こんなものである」という言葉と、遺族の云う、「せめても、入山規制の引き上げがあったら、、、、、、」という言葉には、何とも言い得ない複雑な思いが、垣間見える。日常の中に潜んでいる災害や事故は、一体、どのように、予知できるのであろうか?そして、生死を分けたものとは、何だったのであろうか?自問自答が続きそうである。亡くなられた犠牲者のそれぞれの人生模様を聴くにつけ、何とも、複雑な思いに駆られてしまう。