小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

アスリートとコーチの間合い:

アスリートとコーチの間合い:

テニスは、昔、子供達や女房殿と一緒に、米国で、練習したものであるが、打ちやすい方向へ、フォア・ハンドで、球を打つにも拘わらず、案に相違して、しばしば、逆方向へ、打ち返され、それでも、一寸、手の届く範囲であれば、未だ良いのであるが、全く、箸にも棒にもかからないような球筋であると、もうこれは、一々、追いかけることはしない。その意味で、外人曰くでは、こういうプレイヤーを、ソーシアル・テニス・プレイヤーであると呼ぶそうである、、、、、、、、、。考えてみれば、プロ・テニスは、その意味で、全く逆で、相手に球を返せないように、球を打つことが、究極の目的なのであり、その為に、左右・前後に、将又、斜め目前に、或いは、斜め後ろへと下がったり、まるで、マラソンのように、球を拾いまくるわけである。勝つことの要素としては、サービスが、まず一義的には、有効な要素なのであろうか?それとも、リターンなのか?それとも、ラリーの応酬なのか?将又、スタミナなのか?否、ジュース・ジュースの応酬の中で、或いは、アドバンテージを取った瞬間に、或いは、タイ・ブレークを破るだけの技術と精神力なのであろうか?背が高いという利点、打点が高くなると云う利点、背が低いという欠点、腕が短いという欠点、歩幅が短いという欠点、球の筋を見定めるだけの予測能力なのか、筋力、走力、腕力、グリップの握力、そして、スタミナとも関係する持続力、精神的なタフネスさ、勝負強さ、サッカーではないが、一体、プロ・テニスの世界では、どんな科学的なデータが、分析されているのであろうか?サービス・エースの回数・勝率・範囲や場所、野球の投手のスピード・ガンではないが、サービスの速さとリターンの速さとか、実際に、どれ程の圧力が付加されているのか、サッカーや野球のデータ分析ではないが、どんな科学的なデータ分析と究極の対策が、コーチによって、戦略的に、寝られているのか、或いは、球の軌跡から、どういう瞬間に、前に出るのか、後ろに下がるのか、更には、ゲーム・カウントと試合全体のスタミナを考えて、敢えて、消耗しないようにするとか、戦略的に、戦術との整合性を考えて、試合の対策を練るのであろうか?それにしても、強い心・勝負心・勝負強さは、どのような中から、コーチから、アスリートの魂へ、移入されるのであろうか?ボクシングや野球やサッカーやバレーボール、等と同様に、テニスにも、何か、そうした共通する「成功の定理」が、あるのであろうか?それは、マイケル・チャンが、錦織という日本人アスリートに、嘗ての自分を映し出した結果なのであろうか?名伯楽ありて、名馬有りなのか、それとも、名馬ありて、名伯楽有りなのであろうか?もっとも、コート上の選手もさることながら、コート外でのコーチやスタッフ同士の代理戦争であるとも、云われているが、はてさて、その歴史的な瞬間の答を、朝早起きして、最初から、確認するとしようか、それとも、途中から、確認することにするか、どうしたものだろうか?もっとも、あまり、期待は禁物である。