小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

スポーツTV観戦:

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失意の夏から再生の秋へと云うキャッチ・フレーズの下、何でも申請アギーレ・ジャパンが、スタートすると云うことである。それにしても、我が日本人は、過去の惨敗を総括することなく、未来志向(?)で再スタートを由とする民族なのであろうか?サプライズ召集されたなどと云う言葉は、一体、どちらの側に、みる目があるのであろうか?それとも、みる目がなかったのであろうか?後は選ばれし選手の活躍しだいではなかろうか?親善試合であるとか、理屈を捏ねないと、世界ランキング44位の国が、上位国と対戦しても、勝てる見込みは、万に一あるかどうかも分からぬ。期待していないで観ていたが、案の定、つまらぬミスが、目立って、自滅で天をとられてしまった。サッカーは、門外漢だから、今更、世界の主流のフォーメーションが、何だかんだと、途中で、変更されても、所詮勝負事は、結果が出なければ、或いは、内容が良くなければ、徐々に、危難の声を強まってくることは必至であろう。素人目にみても、どうみても、消化不良で、何か、輝かしい未来への光る希望の宝石の原石でも発見できたのであろうか?行き着く先は、後は時間の問題で、監督への采配批判が巻き起こらないことを祈るばかりである。

消化不良気味のサッカー観戦の後は、今度は、ボクシングである。村田・井上・八重樫のと登場である。村田は、自身でも反省している如く、最終的な詰めの甘さと変化をつけた打撃の試みが観られず、練習時での多彩な攻撃パターンが何故か、影を潜めて、実力を発揮しきれない、未消化な試合であろうか、もっとも、未知の領域の10Rまで試合が出来たことは、スタミナの面等で、収穫にはなったのであろうが、まだまだ、世界ランキングとしては、上には上がいて、チャンピオンへ挑戦するには、時間が必要であろうか?未だ、プロ5戦目だから、もう少し、勉強を重ねなければ、成長の伸びしろが見えず、結局先の見通しも、ぼやけてしまいそうである、それ程、期待したほどには、スッキリとした試合内容ではなかろう。もっとも、それ程、順風満帆に、誰でも、一足飛びに、飛躍できたら、この世界も、苦労はないであろうが、、、、、、、、。

天才井上は、その点、ランキング格下とは云え、観客に、魅せるボクシングをする余裕さえも見せたことは、なかなか、21才の年の割には、恐れ入ってしまう。確かに、スピードも、ステップも、上下のパンチも多彩で、挑戦者にして、ベルトを長い間巻くのではないかと言わしめるほど、プロや通好みのファイトである。これから、何回くらい防衛を果たして行くのか楽しみである。

野草魂の八重樫は、伝説の天才、プロアマ通じて、127戦、無敗の記録を有する挑戦者に対して、まずは、挑戦を受けるという事自体、そうした誇りと逃げない敢闘精神を、十分、評価してあげなければならない。ベルトに執着する亀田一族とは異なり、ひたすら、孤高のチャンプとしての意地と誇りを懸けて戦った事自体、更には、本来のアウトボクシング・スタイルを敢えて棄てて、互角に打ち合った果てに、見事、散ってしまったことは、ボクシングファンには、ある種、勝負と言う点では、残念であるが、ボクシングの哲学、ファイティング・スピリットと言う点に於いては、高く、評価されるべきものがあるであろう。小さな幼子を持ちながら、今後、再び、再起に向けて、どのように、カムバックするのかも、楽しみである。未だ、これで、終わるような柔な精神の持ち主ではないと思われる。今度は、得意のトリッキーなアウトボクシングで、チャンピオンのパンチが空を切るところが観たいものである。まだまだ、最期の花を咲かせる日が再び来ることを願ってやまない。戦って、拳を交えてこそ、初めて知る体験こそ、次回の復帰戦に生かされることになるのではないだろうか?チャンプとしての潔い心持ち・誇り、より強い相手と戦いたいという崇高な願いは、興業企画を超えて、たまには、こういう男としての我が儘を聞いてあげても、おおいに、宜しいのではないだろうか?大橋ジムの粋な計らいにも、拍手を送りたくなった。ボクシングとは、KOすることも、一種の美学であろうが、見事に、戦って散ってしまうと云うことも、それを礼賛すること、これも又、日本人のスポーツ美学には、あっても宜しいのではないだろうか?ベルトを失った事は、残念ではあるが、それ以上に、重要な何かを貰ったような気がしてならない。