小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

試合前予想の危うさ:

試合前予想の危うさ:

何でも、色々な法則を見つけ出してくるものである。先制ゴールをとったチームの方が、勝ち抜く確率が高いそうである。(それは、よく考えれば、確率論に過ぎず、何の保証でもないことを忘れがちである。)しかしながら、ブラジル戦をみても、その他の試合を観ても、必ずしも、そうとも言い切れないのが、現実の試合結果である。それにしても、専門家の予想というものは、視聴者に阿るかのように、必ず、自国の優位や勝利を予想するもので、何故、客観的に、不利であるとか、究極の予想として、敗戦を予想しないのであろうか?スペインのオランダ戦の敗戦にしても、まるで、バルチック艦隊の壊滅のような予想は、果たして、現地でも、試合前になかったのであろうか?新しい戦略と戦術とは、常に、敵に研究され、新たな対抗策が講じられ、或いは、進化された新手の戦略・戦術が編み出される。期待と失望は、勝負事には、つきものである。一喜一憂するその心の振幅は、まるで、限られた時間の中で、見えない勝利の女神という御手に弄ばれるかの如きであろうか?予想というものは、確かに、難しいもので、勇気を持って、敗戦を予想する専門家は、いなかったのであろうか?(もっとも、そんな予想をすれば、視聴率も下がるし、不評を買うことは間違いのかも知れない)スポーツの試合なら、それでも観ている側は財産や命を奪われる訳でもなく、せいぜいが、日常生活の中で、一時的に、落胆する程度であろうが、これが、リアルな現実の戦争であれば、どうなるのであろうか?アメリカの経済力、軍事力を知り尽くしつつ、それでも、敗戦予想を省みずに、戦争に突入せざるを得なかった人々の想いとは、どんなものであったのか?スポーツの試合であれば、それは、良しとしようか?しかし、、、、、、と考えれば、複雑な気持ちになる。