小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ゴジラ60年、込められたメッセージ性とは:

ゴジラ60年、込められたメッセージ性とは:

昭和29年(1954年)の公開だから、自身になぞらえるとまだ、6才の頃だったのである。戦争の記憶も未だ生々しい時代、ビキニ環礁での水爆実験の第五福竜丸被災もあってか、この映画、ゴジラの誕生には、単純な特撮というだけではない、何かが、即ち、原爆・放射能と科学の進歩、人・神習合思想、南太平洋という地理的位置、民俗学の影響、荒ぶる神と戦争による破壊と再生、子供心には、当時は、理解出来ないことが盛り沢山折り込まれていることが、今にして、理解されようか?時代時代に、応じて、公害やら、遺伝子組み換えやら、今にして思えば、ゴジラという怪獣を通じて、人間が創り出したその社会の矛盾を、この映画は、描き出していたのかも知れない。とりわけ、民俗学的な観点から見たこの映画の見方というものは、なかなか、面白いものがある。今や、ゴジラと言っても、映画自身を観たことのない世代が、多くなりつつあるのかもしれないが、海外の映画監督に、引き継がれて、又、別の形で、復活することになったことは、何はともあれ、その原点回帰のようでいて、嬉しいことではないか?監督のこだわりとか、この怪獣誕生に秘められた脚本のメッセージ性こそ、改めて、我々は、子供の頃、せいぜいが、電車を食いちぎる仕草に、驚きと単なる歓声しか上げることが出来なかった子供時代を、振り返って、原点回帰、もう一度、観てみようとする気持が起きることも、映画という代物は、面白いものである。映画というものは、何も、その時の一過性だけではなくて、10年・20年と時代を超えても、何度でも、観てみるだけの価値があるのかもしれない。白髪頭の老人が、子供の頃に観た映画をリバイバルで、上映するシネマ・コンプレックスの映画館があっても良さそうな物であるが、、、、、、、そんなニーズは、ないのであろうか?往年の名作だけを上演するだけの映画館のサービスがあっても良さそうなものである。ビデオとは又、異なる感動が、想い出されて然るべきである。あの頃、亡くなってしまった両親と一緒に観た映画とか、従兄弟達と一緒に観た映画とか、、、、当時を想い起こされて、宜しいのではないだろうか?当時は、子供だったから、理解出来なかった監督や制作者のメッセージ性も改めて、理解出来て、よいのではないではないだろうか?そして、何よりも、その映画を観たことのなかった若い人でも、新鮮さが感じられてよいのではないかと思われるが、、、、、、、。もう一度、観てみたくなってきた。